与那国空港
Yonaguni Airport
.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}旅客ターミナルビル(2015年2月17日撮影)与那国空港付近の空中写真。
2012年11月8日と同月14日撮影の4枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
08/26 LLZ 2,000×45 舗装
統計(2019年度)
旅客数101,562人
貨物取扱量444.4 t
発着回数1,489回
[1][2]
リスト
空港の一覧
テンプレートを表示
与那国空港のシーサー与那国空港付近の空中写真。(1977年撮影)
滑走路延長800 mの頃。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
与那国空港(よなぐにくうこう、英: Yonaguni Airport)は、沖縄県八重山郡与那国町(与那国島)にある地方管理空港である。 日本の空港で最西端に位置する。年間利用客数は、合計101,562人(2019年度)[2]。 那覇及び石垣への定期便が就航している。また、2016年以降、国内チャーター便が就航しており(詳細は#沿革参照)、空港ではチャーター便に対応するため、全日本空輸から売却を受けてタラップやASU (Air Start Unit) などの地上支援機材の常駐を進めている[3][4]。 2012年(平成24年)、JTAの構造改革に伴う路線再編として与那国空港からの同社の撤退およびRACによる代替運航が発表されて以降[14]、地元からは供給席数および積載貨物容量の減少に伴う経済への影響を懸念する声があることが報じられた。
概要
沿革
1943年(昭和18年)6月 - 旧日本軍により建設される[1](滑走路延長は800メートル)。
1958年(昭和33年)8月 - 民間航空の運航を開始する[1]。
1968年(昭和43年) - 9月に滑走路乳剤舗装工事などが完成し、12月にYS-11が就航する[1]。
1973年(昭和48年)2月27日 - 政令により第三種空港に指定[1]。
1975年(昭和50年)3月15日 - 本土復帰に伴い日本の航空法が適用され、滑走路近くにある製糖工場の煙突が同法の規定に抵触するため、滑走路を短縮運用し延長800メートルで供用を開始[1](従来は米国法に準拠し、1,232メートルとされていた)。これにより、YS-11の就航が不可能となる。
1985年(昭和60年)2月12日 - 滑走路延長をYS-11に対応する1,500メートルに延伸し供用開始[1]。
1999年(平成11年)7月15日 - 滑走路の舗装を強化し暫定ジェット化供用を開始し[1]、ボーイング737が就航する(ただし、定員がYS-11の64名から130名に増えたため、従来の1日2往復から1往復に減便となった)。日本トランスオーシャン航空 (JTA) のYS-11は、当空港と石垣空港を結ぶ968便を最後に退役した。
2000年(平成12年)7月21日 - 琉球エアーコミューター (RAC) が那覇 - 与那国線、石垣 - 与那国線を開設する(いずれもDHC-8で週3日運航。これにより週3日ながら航空機による石垣島との日帰り旅行が再び可能になった[5][6]。後に週4日に増便)。
2007年(平成19年)
3月15日 - 予定より5か月遅れ[7]で、滑走路延長が2,000メートルに延伸され供用を開始する[8]。
10月4日 - 立栄航空による台北へのチャーター便が運航される[9]。
2008年(平成20年)7月4日 - 復興航空による花蓮へのチャーター便が運航される[10]。
2013年(平成25年)1月7日 - この日をもってJTAによる定期便の運航が終了。翌1月8日からRACが石垣線を増便するとともに、那覇線を開設[11]。
2016年(平成28年)3月22日 - フジドリームエアラインズによる静岡空港からのチャーター便が運航される[12](2016年中に計3便運航)。同社はその後も日本各地からのチャーター便を運航している[13]。
JTA撤退の地元への影響と反応