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出典検索?: "与那原町"
与那原町旗与那原町章
国 日本
地方九州地方
都道府県沖縄県
郡島尻郡
市町村コード47348-1
法人番号8000020473481
面積5.18km2
総人口19,522人 [編集]
(推計人口、2024年5月1日)
人口密度3,769人/km2
隣接自治体南城市、島尻郡南風原町、中頭郡西原町
町の木リュウキュウコクタン
町の花ハイビスカス
町の花木デイゴ
与那原町役場
町長[編集]照屋勉
所在地〒901-1302
沖縄県島尻郡与那原町上与那原16番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯26度11分58秒 東経127度45分17秒 / 北緯26.19953度 東経127.75478度 / 26.19953; 127.75478座標: 北緯26度11分58秒 東経127度45分17秒 / 北緯26.19953度 東経127.75478度 / 26.19953; 127.75478
外部リンク公式ウェブサイト
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特記事項町の魚:ヨナバルマジク
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与那原町(よなばるちょう)は、沖縄県本島南部、島尻郡に属する町である。 沖縄県の県庁所在地である那覇市から東へ約9km、沖縄本島南部の東海岸に位置し、中城湾(日本語:ナカグスクワン、沖縄方言:チュウジョウワン)に面している。面積は5.18km2で、沖縄本島で最も、沖縄県で渡名喜村に次ぐ2番目に面積の小さい自治体である。 町の東南の雨乞森(133m)(日本語:アマゴイモリ、沖縄方言:アマゴイムイ)という丘陵地状の森、町の北西、西原町との境界にそびえる運玉森(158m)(日本語:ウンタマモリ、沖縄方言:ウンタマムイ)という、小高い丘上の森にだかれ前方に中城湾を望む海岸線にのびた平坦地である。 運玉森に籠もった義賊、運玉義留の話は沖縄で広く知られ、同名の映画作品「ウンタマギルー」は日本映画監督協会新人賞やベルリン国際映画祭カリガリ賞などを受賞した。 第二次世界大戦までは、中城湾に面する天然の良港を有し、山原船の出入りもしていた。沖縄本島東海岸の沿岸交通の要衝、また南部(島尻)と中部(中頭)の両地方を結ぶ東海岸沿いの陸上交通の要衝であったが、第二次世界大戦後は港町としての性格が失われた。 現在でも南部と中部を結ぶ東海岸沿いの陸上の交通要衝でもある。 埋立地以外の同町地形・地質ともに2つに区分される。大半は第三紀島尻群の泥岩・砂岩からなる低起伏の丘陵と、中城湾に沿う狭い海岸低地からなるが、南城市大里との境界、大里城跡公園付近には島尻層群を覆う琉球石灰岩大地がある。この地質のため大半がジャーガル土壌である。 その土壌はサトウキビ作にも適している。また、この泥土を利用し、同町特産の琉球焼物、赤瓦の製造が営まれている。 埋め立てるまで、海岸部は中城湾の波静かなところで、さんご礁に乏しく、第二次世界大戦前までは美しい海浜の続く海水浴に適地であったが、遠浅の為、戦後からは各所で埋め立てが進行された。近年では、その遠浅を隣の西原町と埋め立て中城湾港マリンタウンプロジェクトが実行されており、新たな土地開発が進んでいる。 同町に限らず沖縄本島共通し亜熱帯性気候で年間を通して温暖で四季の変化に乏しい。年平均気温は22.3度、年間降水量1688mmで、春から夏にかけて特に雨量が多いが、年によっては旱魃が起こることもある。又、夏から秋にかけては台風が襲来する。最近では、同町と西原町の沖合いに竜巻が発生報告がある。 現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。
地理
立地
地形・地質
海岸部
気象
隣接する自治体
南城市(2005年までは佐敷町・大里村)
西原町(1979年9月までは西原村)
南風原町(1980年3月までは南風原村)
人口
与那原町と全国の年齢別人口分布(2005年)与那原町の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 与那原町
■緑色 ― 日本全国■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
与那原町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より
沿革
もともと大里間切、1908(明治41)年の島嶼町村制施行後は大里村に属していた。
1949年(昭和24年)4月1日 大里村(現南城市)から与那原・上与那原・板良敷の北部3集落が分立、与那原町が発足した。戦前には鉄道が走っており、与那原は昔から賑わいのある街である。→沖縄県の鉄道も参照
1985年8月 小規模静穏海域整備事業として中城湾南部地域の与那原町を中心とした海域が候補地となる。
1985年10月 小規模静穏海域整備事業の名称を変更し、マリン・タウン・プロジェクトとする。西原町、与那原町、佐敷町(現 南城市)の開発可能性構想を作成。
1986年1月 1986年より国、県、3町(西原町、与那原町、佐敷町(現 南城市))共同でマリン・タウン・プロジェクト構想調査を進めることを確認、プレス発表する。
1986年4月 マリン・タウン・プロジェクト構想の対象地域を知念村(現 南城市)まで拡大。
1986年11月 マリン・タウン・プロジェクト構想調査をはじめる。
1988年12月 港湾計画調査をはじめる。
1990年6月 沖縄県地方港湾審議会において計画が承認される。
1990年8月 港湾審議会132 回計画部会において計画が認証される。
1991年4月 県土木建築部港湾課内に中城湾港マリン・タウン・プロジェクトチーム発足。
1994年3月 港湾計画の軽易な変更(出島方式に変更)。
1996年1月 西原与那原地区の公有水面埋立ての認可及び免許交付。
1996年4月 西原与那原地区埋立工事着工。
2002年12月 同町東浜住宅用地、商業用地の分譲開始。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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