不道徳教育講座
作者三島由紀夫
国 日本
言語日本語
ジャンル随筆、評論
発表形態雑誌掲載
初出『週刊明星』1958年7月27日・創刊号-1959年11月29日号
刊行前篇-中央公論社 1959年3月16日
装幀:佐野繁次郎
続篇-中央公論社 1960年2月5日
装幀:佐野繁次郎
ウィキポータル 文学
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『不道徳教育講座』(ふどうとくきょういくこうざ)は、三島由紀夫の評論・随筆。三島の純文学作品では窺えない機知、逆説、笑いにあふれた内容で、人気が高い作品である。「知らない男とでも酒場へ行くべし」「人に迷惑をかけて死ぬべし」「スープは音を立てて吸ふべし」など、世間の良識的な道徳観や倫理に反するタイトルが、それぞれ70章に及ぶ各章に付され、中国の『二十四孝』をもじって親不孝の話を並べた井原西鶴の『本朝二十不孝
』式パロディに倣っている[1][2]目次1958年(昭和33年)、雑誌『週刊明星』7月27日創刊号から翌年1959年(昭和34年)の11月29日号まで連載され、その間に映画化、松竹新喜劇化、連続テレビドラマ化もなされた[3][4]。
単行本は、前半部が連載中の1959年(昭和34年)3月16日に中央公論社より刊行され、続編は翌年1960年(昭和35年)2月5日に刊行された[5]。文庫版は角川文庫で刊行されている[5]。なお、「暗殺について」の章は、初版単行本以外は削除されている[2][6][注釈 1]。
翻訳版は、韓国の李時哲訳、中国の陳玲芳・古里訳(韓題・中題:不道徳教育講座)で行われている[7]。 三島が作中冒頭で説明しているように『不道徳教育講座』は、井原西鶴が中国の『二十四孝』をもじって、選りに選った「親不孝者」の話を並べた『本朝二十不孝
作品背景
また、初刊から10年後の1969年(昭和44年)、前・続編の合本の単行本刊行の際に三島は、〈例の安保闘争より二年前の世相を反映してゐるから、今から見ると、何かとズレてゐることはやむをえない〉とし、初刊当時の〈毒が薄まり、逆に常識性が目立つてきた〉が、自分がその中で言おうとしていた主旨は、〈今日も適用されうると信ずる〉として、以下のようにも語っている[8]。この本を多少まじめに読んでくれる青年のために、附加へなければならぬことは、十年前の日本が今よりもずつと「偽善」の横行してゐた社会だつたといふことである。その鼻持ちならない平和主義的偽善を打破するためには、かういふ軽薄な逆説、多少品のわるい揶揄の精神が必要だつたのである。もちろん私はこの本を軽い気持で、面白をかしく、落語家的漫才師的サーヴィスさへ加へて、書いてゐたのであるが、その気持の裏に重い苛立ちのあつたことは否めない。尤も、そんな苛立ちを、わざわざ読み取つてもらふ必要はないので、ただ、たのしんで読んでもらへばそれでいいのかもしれない。どんな時代にも無害な悪意は人を微笑ませるものである。 ? 三島由紀夫「あとがき」(新装版『不道徳教育講座』)[8] 『不道徳教育講座』は、〈不道徳〉と付きながらも、無難なユーモラスの範囲のエンターテイメント性のある評論として当時も好意的に受け取られ[2]、大衆演劇やテレビドラマなどの翻案作品も生まれている。
作品評価・研究