不思議の国のアリス
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この項目では、小説について説明しています。その他の用法については「不思議の国のアリス (曖昧さ回避)」をご覧ください。

不思議の国のアリス
Alice's Adventures in Wonderland
初版本の表紙
作者ルイス・キャロル
イギリス
言語英語
ジャンル児童文学ファンタジー童話
発表形態書き下ろし
刊本情報
出版元マクミラン社
出版年月日1865年11月26日
挿絵ジョン・テニエル(装幀と兼務)
シリーズ情報
次作鏡の国のアリス(1871年)
日本語訳
訳者楠山正雄菊池寛芥川龍之介、長澤才助
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7歳のアリス・リデル / キャロルによる1860年のポートレート手書き本『地下の国のアリス』/ 表紙はゴシッククアドラータ(ブラックレター)カリグラフィーと野に咲く草花のイラストで装飾されている。

『不思議の国のアリス』(ふしぎのくにのアリス、: Alice's Adventures in Wonderland)は、イギリス数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドドソン[注 1]ルイス・キャロル筆名で書いた児童小説1865年刊行。

幼い少女アリス白ウサギを追いかけて不思議の国(英語版)に迷い込み、しゃべる動物や動くトランプなどさまざまなキャラクターたちと出会いながらその世界を冒険するさまを描いている。キャロルが知人の少女アリス・リデルのために即興でつくって聞かせた物語がもとになっており、キャロルはこの物語を手書きの本にして彼女にプレゼントする傍ら、知人たちの好評に後押しされて出版に踏み切った。1871年には続編として『鏡の国のアリス』が発表されている。

『アリス』の本文には多数のナンセンスな言葉遊びが含まれており、作中に挿入される詩や童謡の多くは当時よく知られていた教訓詩や流行歌のパロディとなっている。イギリスの児童文学を支配していた教訓主義から児童書を解放したとして文学史上確固とした地位を築いているだけでなく、聖書シェイクスピアに次ぐといわれるほど多様な言語に翻訳され、引用や言及の対象となっている作品である[1]。本作品に付けられたジョン・テニエルによる挿絵は作品世界のイメージ形成に大きく寄与しており、彼の描いたキャラクターに基づく関連商品が数多く作られるとともに、後世の『アリス』の挿絵画家にも大きな影響を及ぼしている。ディズニーアニメーション映画ふしぎの国のアリス』(1951年公開)をはじめとして映像化や翻案・パロディの例も数多い。.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
成立

『不思議の国のアリス』成立の発端は、作品出版の3年前の1862年7月4日にまで遡る。この日キャロル(ドドソン)は、かねてから親しく付き合っていたリデル家[注 2] の三姉妹、すなわちロリーナ(Lorina Charlotte Liddell、13歳)、アリス(Alice Pleasance Liddell、10歳)、イーディス(Edith Mary Liddell、8歳)、それにトリニティ・カレッジの同僚ロビンスン・ダックワースとともに、アイシス川[注 3] をボートで遡るピクニックに出かけた[2][注 4]

この行程は、オックスフォード近郊のフォーリー橋から始まり、5マイル離れたゴッドストウ村で終わった。その間キャロルは少女たち、特にお気に入りであったアリスのために、「アリス」という名の少女の冒険物語を即興で語って聞かせた[注 5]。キャロルはそれまでにも彼女たちのために即興で話をつくって聞かせたことが何度かあったが、アリスはその日の話を特に気に入り、自分のために物語を書き留めておいてくれるようキャロルにせがんだ[5]。キャロルはピクニックの翌日からその仕事に取り掛かり、8月にゴッドストウへ姉妹と出かけた際には物語の続きを語って聞かせた[6]。この手書きによる作品『地下の国のアリス』が完成したのは1863年2月10日のことであったが、キャロルはさらに自分の手で挿絵や装丁まで仕上げたうえで、翌1864年11月26日にアリスにこの本をプレゼントした[7][注 6]

さらにこの間、キャロルは知己であり幻想文学・児童文学の人気作家であったジョージ・マクドナルドとその家族に原稿を見せた。マクドナルド夫妻は手紙で、作品を正式に出版することをキャロルに勧め、また夫妻の6歳の息子グレヴィルが「この本が6万部あればいいね」と言ったことがキャロルを励ました[9]。こうしてキャロルは出版を決意し、『地下の国のアリス』から当事者にしかわからないジョークなどを取り除き、「チェシャ猫」や「狂ったお茶会」などの新たな挿話を書き足して、もとの18,000語から2倍ちかい35,000語の作品に仕上げ、タイトルも『不思議の国のアリス』に改めた[10]。出版社は1863年末にロンドンのマクミラン社と決まった。マクミラン社は当時、自社で出したばかりのチャールズ・キングスレー[注 7]の児童書『水の子どもたち』が好評を得ていたため、キャロルの物語に興味を示したものと思われる[12][13]。挿絵は『パンチ』の編集者トム・テイラーの紹介によって、同誌の看板画家ジョン・テニエルに依頼された。挿絵にこだわりを持っていたキャロルはテニエルと何度も連絡をとり、細かい注文をつけてテニエルを閉口させたが、二人のやりとりのあとを示す書簡は今日では残っていない[14]
出版『不思議の国のアリス』初年版の標題紙

『不思議の国のアリス』は、前述の『水の子どもたち』と同じ18センチメートル×13センチメートルの判形に、赤い布地に金箔を押した装丁と決まり、1865年7月に2000部が刷られた[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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