不思議の国のアリスの挿絵
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アリスの物語に挿絵をつけたジョン・テニエル(自画像)

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(1865年)とその続編『鏡の国のアリス』(1871年)は、いずれもジョン・テニエルの挿絵をつけて刊行された。『不思議の国のアリス』の刊行当時、キャロルが作家として無名に等しかったのに対し、テニエルは風刺漫画誌『パンチ』のトップ・イラストレーターであり、『アリス』の普及の少なくともその初期にあってはテニエルの知名度が大きく貢献したと考えられる[1]。アリスの物語が刊行された1860年代は、イギリスでは書籍・雑誌の挿絵の黄金時代にあたり、二つのアリスの本は当時とりたてて重要視されたわけではなかったが、今日では19世紀以来受け継がれてきた挿絵本のなかでもっとも人気のある作品となっている[2]

アリスの物語は旧弊な教訓話から児童文学を解放したこととともに、児童書における物語と絵との調和の重要性をはっきりと示した作品としても評価されている[3]。それは挿絵に対してつよいこだわりを持っていたキャロルと、自身の仕事に対してはっきりとした矜持を持っていたテニエルとの共同作業の結果であった[4]。テニエルの挿絵はアリスの物語のイメージ形成に欠かせないものとみなされ、今日においてもよく親しまれているが、それにもかかわらず後世の多くの挿絵画家がこの物語の挿絵に挑戦しつづけている。
キャロルの挿絵『地下の国のアリス』

アリスの物語に最初に挿絵をつけたのはルイス・キャロル自身であった。1864年アリス・リデルにプレゼントした手書き本『地下の国のアリス』[† 1]に、キャロルは37点の自筆による挿絵をつけている。キャロルは家庭内回覧雑誌などで絵を描いた経験はあったものの、このときの挿絵の作業にはかなり苦痛を覚え、同時に自身の画力に限界を感じたらしく、アリスの物語を『不思議の国のアリス』として正式に出版する際にはプロの画家への依頼を決めることになる[5]アリスが部屋に閉じ込められる場面

キャロルの挿絵は、白ウサギがネズミにしか見えなかったり、人体のバランスがおかしかったり、立体感がなかったりと[6]、テニエルのそれと比べればむろん稚拙なものではあったが、その素朴なタッチが洗練された効果を挙げている場面もあり[7]、素人らしい絵が非現実的な世界の視覚化にかえってうまく働いているとの評価もある[8]。例えばアリスが巨大化して部屋に閉じ込められる場面は、キャロルの挿絵では絵のフレームそのものを部屋の壁のように利用して描かれており、育ちすぎた胎児が抱くであろうような恐怖感を喚起させるという点においては、テニエルの同じ場面の絵よりも優れているとも言われている[9]

キャロルの伝記作者ファルコナー・マダンの意見によって、従来キャロルによるこれらの挿絵はテニエルの挿絵にさほど影響を与えていないというのが通説となっていた。しかし『アリスとテニエル』(原著1990年)の著者マイケル・ハンチャー(英語版)は、両者の挿絵の著しい類似を検証し、キャロルがテニエルに細かい指示を出していたことを差し引いても、テニエルがキャロルの挿絵を参考にしていたことは間違いないとしている[10]。またテニエルが『地下の国のアリス』の挿絵をもとにして挿絵を描いていたという、アリス・リデルによる証言もある[11]
テニエルの挿絵
キャロルとテニエルとのやりとりテニエルによる『不思議の国のアリス』の挿絵

『不思議の国のアリス』の出版にあたり、キャロルは『パンチ』の看板画家ジョン・テニエルにその挿絵を依頼した。テニエルを紹介したのは同誌の編集者トム・テイラーであったが、テニエルに依頼するよう勧めたのはキャロルの友人ロビンソン・ダックワースであったらしい[12]。挿絵の依頼料を含め出版費用をすべて自費でまかなっていたキャロルは、挿絵を自分のイメージに限りなく近いものにするために細かな指示を行いテニエルを閉口させた[注釈 1]。彼らの間のやりとりを示す書簡は残っていないが、大まかな経緯はキャロルの日記から知ることができる。日記の記述によると、キャロルは『不思議の国のアリス』の、挿絵をつけたい部分のゲラ刷りができるといち早くテニエルのもとに送っていた(つまりテニエルは手書き本『地下の国のアリス』ではなく、はじめから『不思議の国のアリス』のテキストを参照していたらしい)。また本の版形が途中段階で変更になった際には、キャロルはテニエルを訪問して変更の了解を得ており、キャロルがテニエルに対して一方的に指示を与えるだけでなく、その仕事を尊敬し進んで忠告を受けようとしていたことがわかる[14]。しかしテニエルは引き受けた仕事をなかなか始めようとしなかった。挿絵の遅延が原因で、もともと1864年のクリスマスでの出版をもくろんでいた『不思議の国のアリス』が、実際に印刷に回されるのは翌年の7月のことになった。さらにこのときの印刷状態の悪さをテニエルが気にしたために、この最初に印刷された版は発行停止・回収することになり、これによって『アリス』の出版はさらに5ヶ月遅延した[15][注釈 2]

6年後に出版された続編『鏡の国のアリス』においても、キャロルははじめからテニエルに挿絵を依頼したが、テニエルは当初多忙を理由に断り、リチャード・ドイルジョゼフ・ノエル・ペイトンなど他の画家をキャロルに紹介している。しかし前者は最近の絵がキャロルの気に入らなかったためにキャロルから見限り、後者は病気で仕事ができない状態で、手詰まりになったキャロルは最終的に、テニエルに仕事を依頼している出版社への違約金を向こう5ヶ月分払うという条件で(さらに「暇をみつけては」というテニエルからの条件もつけて)、テニエルに挿絵を引き受けてもらうことになった[17](このようにしぶしぶながらに引き受けられた『鏡の国のアリス』の挿絵の仕事は、皮肉なことに今日ではテニエルの最高傑作として認識されている[18])。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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