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不動産登記(ふどうさんとうき)は、不動産(土地および建物)の物理的現況と権利関係を公示するために作られた登記簿に登記することをいう[1]。土地と建物につきそれぞれ独立した登記簿が存在し(区分所有の例外あり)、登記事項も若干異なる。不動産登記は、民法・不動産登記法およびその他政令等によって規律される。
立木登記
など、不動産登記法以外の特別法によって登記される物もある(立木法)。説明の便宜上、次の通り略語を用いる。 江戸期の土地の支配については、農地に関しては「検地帳」[2]、都市部においては、売買記録である「沽券状」及びそれを元にして町役人が作成保有した「沽券帳」などにより、その所在を証明した。山林などについては、これら支配(入会など)を証する制度的な文書がなく、多くは慣習により取り扱われた。 明治維新になって、まず、徴税の目的から、明治4年12月27日(1872年2月5日)、東京府下の市街地に対して地券が発行され、続いて明治5年2月15日(1872年3月23日)の田畑永代売買禁止令の廃止に伴い、これまで貢租の対象とされていた郡村の土地を売買譲渡する際にも地券が交付されることとなった。当初、地券は取引の都度発行するという方式であったが、この方法では全国の土地の状況を短期間に把握することは不可能であったため、同年7月4日(同年8月5日)に大蔵省達第83号を発し、都度の地券発行を改め、人民所有のすべての土地に地券を発行する地券の全国一般発行とした結果、全ての私有地に対して地券(壬申地券
法
不動産登記法(平成16年法律第123号)
令
不動産登記令(平成16年政令第379号)
規則
不動産登記規則(平成17年法務省令第18号)
準則
不動産登記事務取扱手続準則(平成17年2月25日民二456号通達)
不動産登記の沿革
土地の譲渡においては、地券を書き換えるべきものとされていたところ、明治12年(1879年)2月、これに替え裏書移転となったが、翌明治13年(1880年)11月土地売買譲渡規則の制定により、所有権移転は戸長役場の公証手続によっておこなわれることになったため、地券の裏書は納税義務の移転のみを示すものとなったなど、制度上複雑なものとなっていた。また、戸長による公証制により、二重登記・虚偽登記といった問題が頻発した。
このため、公証制度の整備(公証人規則制定)や登記法の実施(明治19年(1886年)8月13日公布、翌年2月1日施行)によって近代的登記制度が公法的に導入され、地券は、法的な意味合いを失い、明治22年(1889年)3月22日の土地台帳規則制定とともに廃止された。
しかしながら、当時の不動産登記は、不動産の権利関係のみを公示するものであり、不動産の物理的現況を明らかにするものとしては、税務署に、課税台帳としての土地台帳及び家屋台帳が備えられていた(地租法、家屋税法)。