不動明王
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不動明王
不動明王[注 1]
国宝醍醐寺蔵)
名不動明王
梵名?????? acalan?tha(アチャラナータ[注 2]
蔵名????????? mi g.yo ba(ミヨワ)
別名阿遮羅曩他
阿梨耶阿左羅嚢多尾?耶羅惹
お不動さん
無動明王
無動尊
無動使者
不動尊
大日大聖不動明王
経典『大毘盧遮那成仏神変加持経
関連項目【五大明王
 降三世明王
 軍荼利明王
 大威徳明王
 金剛夜叉明王
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不動明王(ふどうみょうおう、: ?????? acalan?tha[2])は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。

真言宗をはじめ、天台宗禅宗日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。大日如来降三世明王軍荼利明王大威徳明王金剛夜叉明王、金剛愛染明王らと共に祀られる。
概要

密教の根本尊である大日如来の化身であると見なされている。「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれる。アジアの仏教圏の中でも特に日本において根強い信仰を得ており、造像例も多い。真言宗では大日如来脇侍として、天台宗では在家の本尊として置かれる事もある。縁日は毎月28日である。
真言・種子・三昧耶形
真言

不動明王の真言には以下のようなものがある。一般には、不動真言の名で知られる、小咒(しょうしゅ)、一字咒(いちじしゅ)とも呼ばれる真言が用いられる。「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」(nama? samantavajr?n?? h??)(すべての諸金剛に礼拝する。ハーン。)

また、長い真言には、火界咒(かかいしゅ)と呼ばれる真言がある。「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン」(nama? sarvatath?gatebhya? sarvamukhebhya? sarvath? tra? ca??amah?ro?a?a kha? kh?hi kh?hi sarvavighana? h?? tra? h?? m??)

その中間に位置する、慈救咒 (じくじゅ)と呼ばれる真言も知られる。「ノウマク サンマンダ バザラダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン」[3](nama? samantavajr?n?? ca??a-mah?ro?a?a spho?aya h?? tra? h?? m??. [4])(すべての諸金剛に礼拝する。怒れる憤怒尊よ、砕破せよ。フーン、トラット、ハーン、マーン。)
種子

種子(種子字)はカン(???、h??)、あるいはカンマン(???????、hmm??)
印相

不動根本印 - 右指を左指の上に交互に乗せていき、掌の内で十指を交叉させる。この状態で人差し指を立てて合わせて、親指で薬指の側を押さえる。

不動剣印

三昧耶形

三昧耶形は利剣(倶利伽羅剣)、あるいは羂索。
起源

梵名の「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を意味し、全体としては「揺るぎなき守護者」の意味である。

「不動」の尊名は、8世紀前半、菩提流志(ぼだいるし)が漢訳した「不空羂索神変真言経」巻9に「不動使者」として現れるのが最初である[5]。『大日経』では大日如来の使者として「不動如来使」の名が見え、『大日経疏』では「不動明王」の語が使われている[5]。大日如来の脇侍として置かれる事も多い。

密教では三輪身といって、一つの「ほとけ」が「自性輪身」(じしょうりんじん)、「正法輪身」(しょうぼうりんじん)、「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という3つの姿で現れるとする。「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿を指し、「正法輪身」(菩薩)は、宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿を指す。これらに対し「教令輪身」は、仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻すなど、極めて積極的な介入を行う姿である。不動明王は大日如来の教令輪身とされる。煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。

起源をヒンドゥー教のシヴァ神とする説がある[6]
像容

密教の明王像は多面多臂(複数の顔、腕も複対)の怪異な姿のものが多いが、不動明王は一面二臂で降魔の三鈷剣(魔を退散させると同時に人々の煩悩や因縁を断ち切る、片側中央の刃だけが一際長い三鈷杵)と羂索(けんさく/けんじゃく。悪を縛り上げ、また人々を縛り吊り上げてでも煩悩から救い出すための投げ縄のようなもの。一方の端には環、他方の端には独鈷杵の半分が付く)を持つのを基本としている(密教の図像集などには多臂の不動明王像も説かれ、後述のように日蓮は四臂の不動明王を感得しているが、立体像として造形されることはまれである)。剣は竜(倶利伽羅)が巻き付いている場合もあり、この事から「倶利伽羅剣」と呼ばれている。

また、その身体は基本的に醜い青黒い色で表現される像容が多い。頂は七髷か八葉蓮華、衣は赤土色、右牙を上に出し左牙を外側に出す、というのが一般的とされる。不動明王は多くの明王の中でも中心的な存在である。以下に典型的な像の形を示す。

東寺講堂像(坐像) - 空海(弘法大師)の創意に基づくという意味で「弘法大師様(よう)」と呼ばれる像容。両目を見開き、上唇で下唇を噛み、両牙を下方に出すのが特徴。後世多く作られた、天地眼(片目を半眼にする)・牙上下出(牙を片方は上、もう片方は下に出す)の不動明王とは図像的に異なっている。[7]

浪切不動(立像) - 高野山南院に伝わる、空海が唐から将来したと伝える像である。頭部を右下方に向け、右目を見開き、左目をすがめ、両牙を下に出す。空海が唐からの帰途、荒波に襲われた際にこの不動に祈ったところ波が去ったという伝説がある。[8]

黄不動(立像) - 園城寺に伝わる画像で、円珍感得像と伝える。両目を見開き、上唇で下唇を噛み、両牙を上方に出す。上半身裸形、体躯は筋骨隆々として肥満し、虚空を踏んで立つ。[9]

インドで起こり、中国を経て日本に伝わった不動明王であるが、インドや中国には、その造像の遺例は非常に少ない。日本では、密教の流行に従い、盛んに造像が行われた。

また、日蓮宗系各派の本尊(いわゆる十界曼荼羅)にも不動明王が書かれている為、日蓮宗でも不動明王を奉安する寺院が存在する[注 3]愛染明王と同様、空海によって伝えられた密教の尊格であることから、日蓮以来代々種子で書かれている。なお日蓮の曼荼羅における不動明王は生死即涅槃を表し、これに対し愛染明王は煩悩即菩提を表しているとされる。
眷属
不動三尊


龍湫周沢写『不動明王二童子像』(メトロポリタン美術館所蔵)

不動明王は、八大童子と呼ばれる眷属を従えた形で造像される場合もある。ただし、実際には八大童子のうちの2名、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制?迦童子(せいたかどうじ)を両脇に従えた三尊の形式で絵画や彫像に表されることが多い(不動明王二童子像または不動三尊像と言う)。三尊形式の場合、不動明王の右(向かって左)に制?迦童子、左(向かって右)に矜羯羅童子を配置するのが普通である。矜羯羅童子は童顔で、合掌して一心に不動明王を見上げる姿に表されるものが多く、制?迦童子は対照的に、金剛杵(こんごうしょ)と金剛棒(いずれも武器)を手にしていたずら小僧のように表現されたものが多い。

八大童子の彫像の作例としては、高野山金剛峯寺不動堂に伝わった国宝の像がよく知られる。この他に三十六童子、四十八使者と呼ばれるものがある。

また東寺のように五大明王と呼ばれる主要な明王の中央に配されることも多い。
八大童子

慧光童子
(えこうどうじ)[10]

慧喜童子(えきどうじ)[10]


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