不二サッシ株式会社
FUJI SASH CO., LTD.種類株式会社
市場情報東証スタンダード 5940
不二サッシ株式会社(ふじサッシ)は、神奈川県川崎市幸区に本社を置く、日本の建材メーカー[1]。経営理念は「窓から夢を」[2]。
主にサッシ類を中心としたビル建材、住宅用建材、エクステリア商品などを扱う。 1930年7月7日、株式会社不二サツシ製作所として設立[2]。当初の社名は「不二サツシ」と「ツ」が大文字であったが、1981年より現社名「不二サッシ」となる[2]。 第二次世界大戦前後は町工場同様の規模の会社であったが、戦後の1949年に佐野友二が社長を引き受けると業績が急拡大した。 1957年3月、アメリカへ視察旅行を行った際に訪問したフェントロン社と技術提携し、日本で初めてアルミサッシを製造したメーカーとなった[2]。ホテルニューオータニ、ホテルオークラなどの著名なビルのサッシを次々と受注して先行メーカーとしてトップシェアを有した。 しかし1968年には、多額の開発投資を行った電子ロック付きホームドアの販売低迷、航空測量事業やボイラー製造、ホテル経営など多角化の不振も裏目に出て低迷期に突入する。当時は東亜航空の大株主でもあったが、いわゆる45/47体制において運輸省が航空会社の統廃合を打ち出したため、同社と日本国内航空を合併させ(後の東亜国内航空→日本エアシステム)、事実上の経営権を東急グループに譲っている。 1978年には、長年続けてきた粉飾決算も表面化[3][4]、東京証券取引所への上場廃止、店頭売買銘柄に指定される。1980年代以降は本業に回帰した。 1990年代以降は、新たな分野として産業廃棄物処理などの環境エンジニアリング事業に力を入れている[5]。
概要
沿革
1930年7月7日 - 株式会社不二サツシ製作所として創業、鋼製建具の製造を行う[2]。
1937年 - 株式会社不二製作所に商号変更。
1957年3月 - 米フェントロン社と技術提携、アルミサッシの製造技術を導入[2]。
1958年5月 - 日本初となるビル用アルミサッシの製造販売を開始[2]。
1960年 - 不二サツシ工業株式会社に商号変更。
1961年6月 - 日本初となる住宅用アルミサッシの製造販売を開始[2]。
1961年 - 東京証券取引所2部に上場。
1963年 - 東京証券取引所1部へ指定替え。不二サツシ販売株式会社が東京証券取引所2部に上場。
1964年7月 - 当社のカーテンウォール工法を採用したホテルニューオータニが完成[2]。
1965年9月 - 千葉工場が千葉県市原市に完成[2]。
1966年 - 不二サツシ販売株式会社が東京証券取引所1部へ指定替え。
1968年4月 - 大阪工場が大阪府高槻市に完成[2]。
1969年
5月1日[1] - 東洋ハウジング株式会社を設立[2]。
10月 - 九州不二サッシ株式会社を熊本県玉名郡に設立[2]。
1978年9月 - 不二サツシ工業株式会社及び不二サツシ販売株式会社において粉飾決算が発覚[3][4]。
1981年11月 - 東洋ハウジング株式会社を不二サッシ株式会社に商号変更。不二サッシ株式会社(新)が、不二サツシ工業株式会社、不二サツシ販売株式会社を吸収合併[2]。
1990年11月 - 経営理念「窓から夢を」を制定[2]。
1992年
3月 - 経営理念「窓から夢を」を表したシンボルマークを制定[2]。
8月 - 不二サッシ株式会社が東京証券取引所2部に再上場[2]。
1999年4月 - 荏原製作所と提携、ダイオキシン類低温加熱分解装置の製造販売を開始[2]。
2004年10月 九州不二サッシを完全子会社化[2]。
2007年
4月 - 川崎市中原区から本社を移転。