下鶴間
町丁・大字
下鶴間の街並み
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度29分23秒 東経139度27分29秒 / 北緯35.489675度 東経139.458139度 / 35.489675; 139.458139
国 日本
都道府県 神奈川
市町村 大和市
人口情報(2021年(令和3年)10月1日現在[1])
人口20,177 人
世帯数8,394 世帯
面積([2])
2.950902551 km²
人口密度6837.57 人/km²
郵便番号242-0001[3]
市外局番046(厚木MA)[4]
ナンバープレート相模
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鶴間村・上鶴間村・下鶴間村周辺の現在の区画。地区分割や編入も繰り返されているため、江戸時代の区域とは必ずしも一致しない。
下鶴間(しもつるま)は、神奈川県大和市の地名。現行行政地名は下鶴間一丁目及び下鶴間二丁目と大字下鶴間。住居表示は、一丁目から二丁目のみ実施済[5]。 神奈川県大和市北部に位置する。 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、下鶴間字乙一号1803番20の地点で16万6000円/m2となっている[6]。 江戸時代には大山街道(矢倉沢往還)が通り、下鶴間宿として栄え、宿場には渡辺崋山や伊能忠敬も泊まった。明治初期まで相模国高座郡下鶴間村に属していた。 かつて住居表示の実施により新たに新町名が設置された際、中央林間・南林間・林間によって大和市立緑野小学校などがある西側と、大和市役所、旧日本IBM大和事業所などがある東側とは分断されていた。 しかし、2010年(平成22年)10月12日に大和市立緑野小学校を含む下鶴間の西側区域(3000番地台から4000番地台)と南林間三丁目の一部について中央林間西という新町名の住居表示が実施され[7]、これによって下鶴間区域の分断は解消された。 鶴間は昔、鶴が飛来したという「鶴舞の里」を根拠とする現在の大和市・相模原市・町田市にまたがる広域地名に由来する。下鶴間村は大山道の宿場町として、鶴間村(現在の町田市鶴間)は鎌倉街道や絹の道の宿場町として賑わったとされる。 2021年(令和3年)10月1日現在(大和市発表)の世帯数と人口は以下の通りである。なお、一丁目は人口が0人のため、省略とする[1]。 大字・丁目世帯数人口 国勢調査による人口の推移。 人口推移年人口
地理
地価
歴史
由来
沿革
1889年 - 高座郡鶴見村
1891年 - 高座郡大和村
1943年 - 高座郡大和町
1959年 - 大和市に所属
世帯数と人口
下鶴間6,536世帯15,419人
下鶴間二丁目1,858世帯4,758人
計8,394世帯20,177人
人口の変遷
1995年(平成7年)[8]23,851
2000年(平成12年)[9]28,358
2005年(平成17年)[10]31,492
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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