下駄
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一般的な下駄下駄作りの様子(1914年)

下駄(げた)は、一般的には、鼻緒があり底部に歯を有する日本の伝統的な履物[1]を乗せる木板に「歯」と呼ばれる接地用の突起部を付け「眼」と呼ぶ孔を3つ穿って鼻緒を通したもので、足の親指人差し指の間に鼻緒を挟んで履く。ただし、板下駄のように歯のない下駄もある[2]
歴史と呼称

履物の下駄の起源は田下駄であるとする説がある[2]。田などで使用されたと考えられるこのような道具は、紀元前3,000年前の中国浙江省寧波市の慈湖遺跡からも出土している(ただし慈湖遺跡の出土品は歯のない板状のもの)[2]。足の保護や水田湿地での沈み込みを防ぐため使われたとみられる道具は、日本では弥生時代登呂遺跡(静岡県)からも出土しており、同様の履物は20世紀まで使われ続けた地域がある[3]

農具ではない履物としての下駄は5世紀の桓武山ノ花遺跡(静岡県浜松市)や鴨田遺跡(滋賀県長浜市)から出土しているが、鼻緒の素材にどのようなものを使っていたかは不明である[2]

室町時代から江戸時代にかけて支配者層を中心に下駄が使われるようになったが、庶民一般の履物となったのは江戸時代後半で地域も江戸や大坂などに限られていた[2]

かつては普段着の洋装に下駄を履く場合もあり、男子学生がファッションとして崩れた洋服(学生服)などに下駄を履いていることをバンカラと呼んだ。

日本で下駄が最も普及していたのは機械化による大量生産が進んだ昭和30年代頃とされている[4]。1940年代からゴム製の履き物が登場し売り上げが落ち始め[5]、戦後のアメリカナイゼーションモータリゼーション等で廃れたが、1960年代までは洋服に下駄履きで遊ぶ男児は珍しくなかった[6]

呼び名の成立は戦国時代と推測される。それ以前は「足下(あしした)」を意味する「アシダ」と呼称され[7]、漢字は「足駄」など様々な字があてられていた。「アシダ」は上履き・下履きを問わなかったが、これを下履きに限定した語が「下駄」である(「駄」はアシダの略)。

海外では、木版を使う下駄にあたる履物が古代エジプトや中東アジア・一部ヨーロッパでも使用されていた。東南アジア・東アジアでは、稲作を行う南方地域で広く使用されており、鼻緒のある下駄は日本や中国南部の一部少数民族、東南アジアで使用されてきた。田下駄のように大きめの板に通した紐に、足を引っ掛けて履いたもので、後に発達する「下駄」のルーツと同様の系譜と考えられている。中国北部や朝鮮半島では下駄の使用が元々一般的でなく現在は使用されていない。
構造下駄の側面図

日本には緒を用いる履物として、足を乗せる部分に木の台を用いる下駄、草や樹皮などの柔らかい材料を用いる草履(ぞうり)、緒が踵まで覆い足から離れないように踵の後ろで結ぶ草鞋(わらじ)の3つがある。木製の草履は中国及び朝鮮半島にもあるが、日本語の下駄にあたる言葉はなく、木靴まで含めて木履という。なお、日本人が想像しやすい二本歯の下駄は、中国・朝鮮で使用されている木履とは形が異なる別物である。

人の足を載せる部分を台という。下駄は台の素材、台表の有無、塗の有無でも区別される[8]

台の素材は遺跡から出土する下駄の樹種でも、檜、栗、松、朴、桂、樫など多様である[2]。現代では軽くて繊維が長く割れにくく足への当たりが柔らかいが多く使われている(会津産など)[2]。また、が使われることも多く、各地の林産品に杉の下駄がみられ、特に大分県日田市(日田杉)の杉下駄は有名である[2]

下駄には台表が付いているものもある[8]。台表面にイグサや裂いた竹を編んだ表(おもて)を貼り、台自体に七つの切れ目を入れて歩行時に足の裏に台が追随するようにした下駄に八ツ割下駄がある(歯はない)。

塗の有無では漆塗りと白木が多いが、白木は雨や皮脂に弱いため、雨の日に履いたり素足で履いたりすることは避けられた[8]。なお、下駄などの先端に雨よけや雪よけのために付ける革やビニールの覆いを付けることもあり爪革(つまかわ)という[9]
一本歯下駄

台の下に付けるのが歯であるが、考古学や民俗学では、一本の木から彫り出した連歯下駄、歯のない無歯下駄、台に別に作った歯を取り付けた差歯下駄の三種に分ける[2]

差歯下駄の場合、台と歯の樹種が異なるものもあり、歯に柔らかく粘り強い朴材を使ったものがある(朴歯の下駄)[2]。また立ち仕事の多い板前が使う下駄には堅い樫材を使ったものがある[2]。歯の高い差歯高下駄は降雨時に用いられ、歯がすり減ってくると新しい歯に交換して使い続けることができる[10]。なお、差歯の下駄で台の表面まで差歯が見えているものを露卯(ろぼう)という[11]。露卯下駄は江戸時代末期頃までは盛んに使用されたが、明治以降は急速に衰退し昭和初期には使用されなくなった[12]

小町下駄や千両下駄のように前方下面が斜め向きに(前のめりに)切り落とされている形状を「のめり」という[2]。前の歯が「のめり」となっており後ろの歯が駒下駄のようになっているものは千両役者がよく履いていたことから千両下駄と呼ばれている[13]。横から見たときに「千」の字に似ているからという説もある[2]

下駄には歯の先端に滑り止め用ゴム(三平式ゴム歯)を付けたものもあった[14]

歯が一本の下駄を一本歯下駄といい役行者像にみられるように修験者が履いていたとされる[2]。一本歯下駄は天狗が履いていたとという伝承もあり「天狗下駄」とも呼ばれる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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