この項目では、商港・工業港としての下関港について説明しています。漁港としての下関港については「下関漁港」をご覧ください。
下関港
下関港(本港地区).mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}下関港日本の地図を表示下関港山口県の地図を表示下関港東シナ海の地図を表示下関港の位置
所在地
国 日本
所在地山口県下関市
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度57分28.4秒 東経130度56分28.8秒 / 北緯33.957889度 東経130.941333度 / 33.957889; 130.941333
下関港(しものせきこう)は、山口県下関市にある国際拠点港湾。北九州港と共に関門港の一部をなす。港湾管理者は下関市[注 1] 。 中枢国際港湾11港の一つであり、日本海側拠点港湾の指定に加えて、日本海側拠点港19港のうちの総合的拠点港湾5港の一つ[広報 2]にも指定されている。 国際港湾としては、本州から朝鮮半島・中国大陸への最短の立地(大韓民国釜山港まで220km、中華人民共和国蘇州港まで1,019km)と、環日本海経済圏・環黄海経済圏の結節点という地理的なメリットを有しており[広報 3]、日本で最多の国際定期旅客航路
概要
港勢
2022年(令和4年)の輸出総額は7991億90百万円(前年比105.5%・全国22位)で門司税関管内における構成比は8%、輸入総額は3217億40百万円(前年比127.2%・全国46位)で構成比は3.7%であった。輸出額から輸入額を差し引いた差引額は4774億50百万円(前年比94.7%)で20年連続の輸出超過であった[広報 4]。 本州の最西端であり関門海峡に面した下関は、古代より九州への航路があった。江戸時代に入ると、北前船の寄港地として栄えた。港を含む領地は長府藩が大部分を占めていたが、長州本藩(萩藩)や清末藩の領地も混在していた。明治に入ってからは対韓貿易の中心地となり、また、1945年に終戦を迎えるまでは港を含む関門海峡一帯が下関要塞地帯に設定され、地図作成に制限が加えられていた。「関門連絡船」および「関釜連絡船」も参照 下関の繁栄は港の隆盛と一対をなすものであり、交通網の整備や福岡・北九州の拠点化が推進されると、下関港の衰退、ひいては下関の街全体の衰退に影響を及ぼした。
主な輸出入品目[広報 4]
輸出
一般機械・・・3986億25百万円
精密機器類・・・1029億38百万円
ゴム製品・・・551億14百万円
プラスチック・・・516億34百万円
非鉄金属・・・439億39百万円
輸入
一般機械・・・756億34百万円
電気機器・・・725億71百万円
魚介類及び同調製品・・・359億7百万円
精密機器類・・・165億3百万円
石油及び同製品・・・148億33百万円
主な貿易相手国[広報 4]
輸出
大韓民国・・・4617億36百万円
中華人民共和国・・・2154億59百万円
オーストラリア・・・175億12百万円
輸入
大韓民国・・・1369億54百万円
中華人民共和国・・・1344億77百万円
ベトナム・・・73億10百万円
取り扱いシェアの高い主な品目
飼料の輸出(数量ベース)・・・全国シェア40.2%、全国第1位[1]
魚肉ソーセージの輸出(金額ベース)・・・全国シェア27%、全国第3位[2]
半導体等製造装置の輸出(金額ベース)・・・門司税関管内シェア46.9%、管内第1位[3]
畜産物(牛肉・豚肉・鶏肉)の輸出(金額ベース)・・・全国シェア13.5%、全国第2位[4]
あわびの輸入・・・全国シェア74.7%、全国第1位[5]
きゅうりの輸入・・・全国シェア64.8%、全国第1位[広報 5]
なすの輸入・・・全国シェア98.4%、全国第1位[広報 5]
パプリカの輸入・・・全国シェア48.5%、全国第1位[広報 5]
ユリ属の輸入・・・全国シェア72.7%、全国第1位[広報 5]
歴史
1672年(寛文12年) - 西廻り航路就航、寄港地となる。
1840年(天保11年) - 萩藩により、越荷方設置。
1865年(慶応元年) - かねてより開港論と萩藩直轄化が持ち上がっていたが、どちらも実施されないことが萩藩により公示。
1875年(明治8年) - 上海定期航路寄港地として開港指定、長崎税関下関官吏派出所設置。
1883年(明治16年) - 特別輸出港
1889年(明治22年) - 赤間関市として市制が施行され、赤間関港となる。
1899年(明治32年) - 第一種港湾に指定。
1902年(明治35年) - 市名を下関市と改称、下関港となる。
1905年(明治38年) - 関釜連絡船が就航。(1945年(昭和20年)まで)
1907年(明治40年) - 第一種重要港湾に指定。
1911年(明治44年) - 内務省下関土木出張所設置。門司港との間で鉄道車両航送を実施。