下関商業高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度58分25秒 東経130度55分40.9秒 / 北緯33.97361度 東経130.928028度 / 33.97361; 130.928028
下関商業高等学校(しものせきしょうぎょうこうとうがっこう)は、山口県下関市後田町四丁目に所在する市立の商業高等学校。略称は「下商」(しもしょう)。 校訓下商において特に校訓は定められておらず、その代わりに、古くから「校歌・クラス名」を校訓代替としている。 校章校章は、ギリシャの商業神ヘルメスの使節杖「ケーリュケイオン」に由来し、一本の杖を中心に二匹の蛇が巻きつく意匠である。校章を定めたのは、1888年のことで、東京大学・一橋大学に次いで三番目に当たる。 現在のクラス名は、1905年4月に、それまでの甲・乙・丙・丁を、中国儒教思想に由来する「仁」「義」「礼」「智」と改めたのに始まる(改めるきっかけになったのは、1899年4月から「甲種」「乙種」の両商業科が設けられ、学科と学級の呼称が同じになり、学級を呼ぶ場合に「甲種一年甲組」「乙種一年乙組」など何かと紛らわしくなった為)。 1935年に「信」組が追加され、クラス名は仁・義・礼・智・信の5つとなった。これらは人々が日常において特に守るべき徳目として、中国では「五常」と総称されている。 戦後、女子生徒クラス用として「和」「敬」の両組(1947年)、学級増にて「清」組(1949年)、定時制開設にともない「浄」組(1952年)、「明」組(1953年)、「昭」組(1954年)がそれぞれ設けられ、クラス名はすべてで11となった。
山口県で唯一の市立高等学校で、公立高校ながら学校全体を指す名称としては「下関市立」を冠しない。また「下関市立商業高等学校」の校名でもない[1]。
神戸、大阪、横浜、名古屋に次いで、日本で5番目の商業学校として設置された学校であり、中国・四国・九州・沖縄で、最も古い歴史を持つ商業高校である。
設置学科
商業科
情報処理科
概要
学校のスローガンは「一歩前へ!」。
野球部の創部は1898年。これまでに甲子園で春夏合わせて、優勝1回、準優勝2回。1939年の全国中等学校優勝野球大会で準優勝。1963年の第35回選抜高等学校野球大会・国民体育大会高等学校野球競技では優勝、第45回全国高等学校野球選手権大会では準優勝。また、1968年の全国高等学校軟式野球選手権大会では決勝戦引分け(下商が優勝預かり、静岡商と共に準優勝扱い)をおさめている。2008年の第80回選抜高等学校野球大会に29年振りの出場、一回戦敗退。2015年の第97回全国高等学校野球選手権大会に20年振りの出場を決めた。
スクールカラーは「紫」。
在学中で、山口県初の日商簿記検定一級合格者や税理士試験3科目合格者、全商検定8種目一級合格者などを輩出している。
沿革・概要
1884年(明治17年)
9月 - 西之端町に赤間関区内23ヶ町町立として、赤間関商業講習所設立認可。
10月 - 赤間関商業講習所、開校式挙行。
1885年(明治18年)11月 - 赤間関商業学校と改称。
1891年(明治24年)1月 - 入江町校舎、落成移転。
1901年(明治34年)4月 - 市立赤間関商業学校と改称。
1902年(明治35年)
3月 - 名池山校舎、落成移転。
6月 - 市立下関商業学校と改称。
1905年(明治38年)
2月 - 校章制定。
4月 - 学級の呼称を、仁・義・礼・智組と改める。
1910年(明治43年)2月 - 校歌制定。
1915年(大正4年)5月 - 図書館万古館(御大典記念)新築落成。
1922年(大正11年)3月 - 校舎焼失。
1926年(大正15年)7月 - 千畳原校舎、落成移転。
1935年(昭和10年)3月 - 講堂(創立50周年記念)、新築落成。
1944年(昭和19年)4月 - 女生徒の入学を認める。
1947年(昭和22年)4月 - 併設中学校開設、市立下関女子商業学校廃校に伴い、同校生徒を編入学。
1948年(昭和23年)4月 - 下関商業高等学校と改称。
1949年(昭和24年)4月 - 生徒会発足。
1950年(昭和25年)10月 - 同窓会館日和山荘開設。
1952年(昭和27年)4月 - 定時制課程(商業科・夜間部)開設。
1953年(昭和28年)10月 - 校歌編曲。
1961年(昭和36年)5月 - 鹿児島商業高校と姉妹校の盟約を結ぶ。
1964年(昭和39年)10月 - 学校寮千畳原寮、新築落成。
1968年(昭和43年)3月 - 商業科校舎増築落成。
1972年(昭和47年)10月 - 新体育館、新築落成。
1974年(昭和49年)8月 - プール(創立90周年記念)完工落成。
1978年(昭和53年)6月 - 弓道場、新築落成。
1982年(昭和57年)10月 - 新校舎教室棟(創立百周年記念)、新築落成。(11月より授業開始)
1984年(昭和59年)
4月 - 新校舎管理棟(創立百周年記念)、新築落成。
10月 - 創立百周年記念式典。
11月 - 青島市第一職業中学校と姉妹校の盟約を結ぶ。
1986年(昭和61年)10月 - 釜山商業高等学校と姉妹校の盟約を結ぶ。
1990年(平成2年)3月 - サブグラウンド完成。
1994年(平成6年)
4月 - 全日情報処理科1クラス新設。
10月 - 新図書館(万古館)開館。
1996年(平成8年)4月 - 定時制課程に「3年修業制」導入。
2004年(平成16年)10月 - 創立120周年記念式典。
2011年(平成23年)7月 - 講堂、新築工事開始。
2013年(平成25年)4月 - 新講堂、新築落成。
2022年(令和4年)3月31日 - 定時課程が廃止される[2]。
校訓・校章
クラス名の由来と変遷