下関とふく
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唐戸市場の案内表示。フグのイラストがデザインされている。

下関とふく(しものせきとふく)は、フグの集積地としての山口県下関市について記述する。下関など西日本では、フグの事を濁らずに「ふく」と呼ぶ場合が多い。これは、フグが「不遇」に繋がり、フクが「福」につながるからなど、諸説がある。若年層は普通にフグと発音することも多い。

下関の天然トラフグの約6割は遠州灘沖で漁獲されたもので、1993年頃から海流の変化で、遠州灘沖が国内屈指のトラフグの漁場となり、浜松市内の舞阪漁港で大量に水揚げされるようになった。国内に流通しているトラフグのうち、天然物は僅か1割ほど。

下関は、日本で水揚げされる天然のトラフグクサフグなど8割近くが集まり、また長崎県熊本県で、主に生産される養殖トラフグも大部分が集まる一大集積地である。下関に集まったフグはここで売買され、毒を持つ内臓部分などが除去する加工が成されたあと、東京や大阪の消費地へと運ばれる。

特に下関の唐戸市場(同市唐戸)は、1933年昭和8年)に開設されたフグの取引所として知られ、大型船が接岸できる立地を生かした南風泊(はえどまり)市場は、日本最大のフグ取り扱い市場として知られている。山口県は1989年にフグを県魚と指定。平成28年10月12日には『下関ふく』として農林水産省GI(地理的表示)保護制度に登録され名実とも下関の代名詞としてフグが承認された。このように下関とフグは象徴的な結びつきが強い。
下関がフグの集積地となった背景

まず立地面でみると、以下の点が挙げられる。

トラフグの産卵地である玄界灘沖や瀬戸内海西部沿岸に近い。

東シナ海、日本海と瀬戸内海を結ぶ交通の要衝の地である。

東シナ海日本海瀬戸内海ともにフグの好漁場である。

下関は古くより豊な漁場に近く、漁業が発展していた。さらに明治期に入ると西洋の漁法が取り入れられ、下関はトロール船による遠洋漁業やノルウェー式捕鯨の一大拠点となった。1911年に田村汽船漁業部(後のニッスイの前身)、1913年には林兼商店(後の大洋漁業、現在のマルハニチロの前身)が、それぞれ下関を拠点として創業している。その後下関は、日本一の漁獲高の大漁港に発展した。これは、日本海、瀬戸内海、太平洋(豊後灘)の交点に位置し、早くから鉄道が敷設され交通の要衝となったことが大きい。

1961年に28万トンを超える漁獲高をあげて以降、下関の年々漁獲高は低下していった。これには、交通事情の変化したこと、つまり冷凍輸送やトラック輸送が発達し、他の地域の漁港が近代化したため、下関以外を経由して大都市圏への輸送が可能となったという社会インフラの変化があった。また乱獲による漁業資源の低下、捕鯨の禁止なども理由としてあげられる。

このため、下関は付加価値の高い漁業への転換をせまられた。そのなかでフグで下関を活性化しようと考えた人物も多数現れた。特に小野英雄は、唐戸魚市場で働いていたが、南風泊港にフグを取引するための新しい市場を開くなどした。またフグ関連のイベントや養殖フグの取引などフグの大衆化に尽力した。

行政の後押しもあり下関はフグの集積地として成功をおさめた。現在も、フグのなかでも高級とされる天然のトラフグなどは下関に全国の7割から8割が集荷される一大拠点である。

また流通面でみると、以下の点が挙げられる。

フグの加工に必須である「身かき」「皮むき」の加工場が下関付近に集積した。

フグの身を引き締めるため1日程度、生きたフグを水槽内で絶食させるが、これをトラック輸送内で平行して行うことで長距離輸送が可能。

特に、「身欠き」「皮むき」など、フグの持つ毒のため加工技術は他の魚と異なる技術が必要であり、一朝一夕で習得できるような単純な技能ではない。従って、フグが水揚げされる他の地域でもフグ加工技術の集積がないため、下関へと輸送する場合が多数である。

しかし、近年は漁獲不振(後述)により実際には山口県近海で獲れるフグの漁獲高は全体的に少ない。フグに限らず水産品表示として水揚げ地を使うことは習慣上許可されたものであり、下関で扱われたフグは下関物として広く流通している。実際のフグ料理店でも「下関直送フグ」あるいは「下関のフグ」などの表現を使うため、消費者に下関産のフグを使っているという印象を与えている場合も少なくない。

2000年以降、消費者の意識の高まりを受け、産地表示の適正化が強くなっている。特にフグの場合、2000年から2003年頃に養殖フグのホルマリン使用による寄生虫除去が表面化した。特に長崎県産は、養殖トラフグの都道府県別生産高で1位であったが、厚生労働省の禁止通達以後も使用していたため、大きな社会問題となった。

これら養殖フグも下関を経由して各地に流通していたため、下関の卸業者は他の産地や消費者との板挟みとなり、対応に苦慮した部分があった。


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