人口25,970人、面積1,481.02km²、人口密度17.5人/km²。(2024年5月1日、推計人口)
以下の2町2村を含む。 明治30年(1897年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町2村に宮古市を加えた区域にあたる。 江戸時代には鉄産地で、盛岡藩のもとで採掘と製鉄が盛んだった。生産された鉄は、山道をたどる牛によって北上盆地に運ばれた。明治に入っても、馬が多い東日本としては珍しく、牛の飼育数が多い地方であった[1]。
山田町(やまだまち)
岩泉町(いわいずみちょう)
田野畑村(たのはたむら)
普代村(ふだいむら)
郡域
歴史
年表1.宮古町 2.鍬ヶ崎町 3.山田町 4.崎山村 5.田老村 6.山口村 7.千徳村 8.花輪村 9.茂市村 10.刈屋村 11.磯鶏村 12.津軽石村 13.重茂村 14.豊間根村 15.大沢村 16.織笠村 17.船越村 21.小本村 22.田野畑村 23.普代村 24.岩泉村 25.有芸村 26.安家村 27.小川村 28.大川村 31.川井村 32.門馬村 33.小国村(紫:宮古市 赤:山田町 桃:岩泉町 青:合併なし)
明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行により、北閉伊郡・中閉伊郡・東閉伊郡の区域をもって下閉伊郡が発足。郡役所が宮古町に設置。以下の町村が所属。(3町25村)
旧・北閉伊郡(8村) - 小本村(現・岩泉町)、田野畑村、普代村(現存)、岩泉村、有芸村、安家村、小川村、大川村(現・岩泉町)
旧・中閉伊郡(3村) - 川井村、門馬村、小国村(現・宮古市)
旧・東閉伊郡(3町14村) - 宮古町、鍬ヶ崎町(現・宮古市)、山田町(現存)、崎山村、田老村、山口村、千徳村、花輪村、茂市村、刈屋村、磯鶏村、津軽石村、重茂村(現・宮古市)、豊間根村、大沢村、織笠村、船越村(現・山田町)
大正11年(1922年)8月1日 - 岩泉村が町制施行して岩泉町となる。(4町24村)
大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
大正13年(1924年)4月1日 - 宮古町・鍬ヶ崎町が合併し、改めて宮古町が発足。(3町24村)
大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止され、内務省告示第82号により下閉伊支庁が設置される。
昭和16年(1941年)2月11日 - 宮古町・磯鶏村・千徳村・山口村が合併して宮古市が発足し、郡より離脱。(2町21村)
昭和17年(1942年)
7月1日 - 「下閉伊支庁」が宮古市に設置され、本郡を管轄。
12月1日 - 「下閉伊支庁」が「下閉伊地方事務所」に改編。
昭和19年(1944年)3月10日 - 田老村が町制施行して田老町となる。(3町20村)
昭和30年(1955年)
2月1日 - 茂市村・刈屋村が合併して新里村が発足。(3町19村)
3月1日 - 山田町・大沢村・織笠村・豊間根村・船越村が合併し、改めて山田町が発足。(3町15村)
4月1日 - 崎山村・重茂村・津軽石村・花輪村が宮古市に編入。