下荒田
町丁
荒田八幡宮
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度34分23秒 東経130度33分18秒 / 北緯31.573111度 東経130.555111度 / 31.573111; 130.555111座標: 北緯31度34分23秒 東経130度33分18秒 / 北緯31.573111度 東経130.555111度 / 31.573111; 130.555111
国 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域中央地域
地区鴨池地区
人口情報(2020年(令和2年)4月1日現在)
人口10,677 人
世帯数6,559 世帯
郵便番号890-0056
市外局番099
ナンバープレート鹿児島
町字ID[1]0074001(一丁目)
0074002(二丁目)
0074003(三丁目)
0074004(四丁目)
運輸局住所コード[2]46500-1081
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下荒田(しもあらた[3])は、鹿児島県鹿児島市の町丁[4]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島近在下荒田町、鹿児島市下荒田町、鹿児島市荒田町、鹿児島市下荒田町。郵便番号は890-0056[5]。人口は10,677人、世帯数は6,559世帯(2020年4月1日現在)[6]。下荒田一丁目から下荒田四丁目まであり、下荒田一丁目から下荒田四丁目までの全域で住居表示を実施している[7]。 鹿児島市の中央部、甲突川中流域に位置する。町域の北方に新屋敷町、甲突町、南方に鴨池及び与次郎、東部に天保山町、西部に荒田、高麗町がそれぞれ接している。 町域の北方には甲突川が流れている。 1879年(明治12年)、鹿児島近在の荒田村(現在の上荒田町の前身)から下荒田町として分立した[4]。下荒田町は平民に比べて士族が多く居住しており、武家町であったとされる[8]。 1888年(明治21年)に公布された市制(明治21年法律第1号)に基づき、1889年(明治22年)2月2日に官報に掲載された「 市制施行地 1899年(明治32年)には、下荒田町が「荒田町」に改称し、1911年(明治44年)に再び「下荒田町」に改称している[4]。また、同年9月30日には鹿児島郡西武田村の大字武(現在の武)のうち飛地となっていた天保山(現在の天保山町の北半分)の区域を鹿児島市に編入し[11]、下荒田町に編入された[12]。1934年(昭和9年)2月には、下荒田町に属していた天保山の区域が分割され天保山町が設置された[11]。 1945年(昭和20年)4月8日にはアメリカ軍の爆撃機によって下荒田町や田上町、平之町、加治屋町、東千石町、新照院町が爆撃され、死者587名、負傷者424名の被害が出た[13]。また、8月6日には下荒田町、原良町、薬師町方面に空襲が行われた[14]。 1971年(昭和46年)7月1日に高麗・荒田地区において住居表示が実施されることとなった[15][16]。これに伴い、上荒田町及び下荒田町の一部より荒田一丁目、上荒田町及び鴨池町(現在の鴨池)、下荒田町の各一部より荒田二丁目が設置され、下荒田町の一部を高麗町に編入した[16][17]。 1973年(昭和48年)12月3日には天保山町、鴨池町(現在の鴨池)、下荒田町の各一部にあたる下荒田・天保山地区において住居表示が実施されるのに伴い町域の再編が行われた[15]。
地理
河川
甲突川
歴史
下荒田町の新設
市制施行から第二次世界大戦まで
第二次世界大戦以後
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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