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しもふさまち
下総町
成田ゆめ牧場・まきば線
下総町旗下総町章
廃止日2006年(平成18年)3月27日[1]
廃止理由編入合併[1]
下総町、大栄町 → 成田市[1]
現在の自治体成田市
廃止時点のデータ
国 日本
地方関東地方
都道府県千葉県
郡香取郡
市町村コード12341-2
面積32.00 km2
総人口7,868人
(2006年2月1日)
隣接自治体成田市、香取郡大栄町、神崎町
茨城県稲敷郡河内町
町の木モクセイ
町の花コスモス
町の鳥ウグイス
下総町役場
所在地〒289-0192
千葉県香取郡下総町猿山1080番地
外部リンク下総町
2006年(平成18年)3月27日に成田市へ同郡大栄町と共に編入合併された[1]。 農業中心の町で、北に流れる利根川沿いに水田地帯が開け、水郷早場米の産地としても有名(早場米の出荷は8月中旬から。)。台地では畑作が行われ様々な作物が栽培されている、中でも無漂白なのに真っ白なレンコンは町の特産品で、国の減反政策がきっかけで栽培が始まった。現在ではハウス栽培、二年掘り、筋掘りなど多彩な栽培方法を組み合わせも、一年中市場へ出荷されており、その販売戦略などが高く評価され、平成12年、日本農業賞大賞(集団組織の部)を受賞している。また、サツマイモの生産も多い。利根川河川敷などでは酪農も営まれている。工芸品の下総鬼瓦も重要な産業の一つだったが今では県下唯一の鬼瓦工場がこの町に残るのみとなり、千葉県の伝統的工芸品に指定されている。 下総町は歴史も古く、鎌倉時代は大須賀氏の所領として栄え、江戸時代には井上政重がこの地を含めて1万石を領する大名となり(高岡藩)、3代藩主政蔽(まさあきら)の時に高岡に陣屋が置かれた(高岡陣屋 東南 西?南 下総町町域の変遷(年表) 下総町町域の変遷
概要
地理
隣接していた自治体
香取郡大栄町
成田市
歴史
地名の由来
下総(しもふさ)の地名は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つである「下総国(しもふさのくに)」が由来となっている。「平成の大合併」直前時点では、関東地方で唯一旧国名をそのまま名乗る市町村であった(ただし、異なる表記を用いた例に茨城県日立市〔常陸国〕がある)。また、「全国伝統地名(旧国名)市町村連絡会議」に参加していたが、成田市との合併と同時に脱退した。なお近隣地域でも下総町の「ふ」を「う」と発音する人が多い。(旧下総国域の鉄道の駅名で使用される下総?の読みは「う」である)
沿革
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、滑河村、西大須賀村、大菅村、猿山村、四谷村が合併して滑河町(初代)が発足。
1897年(明治30年)12月29日 - 滑河駅が開業。
1955年(昭和30年)2月11日 - 滑河町が高岡村、小御門村と合併し、滑河町(2代目)を新設。同日下総町に改称(同年10月国勢調査:人口7,956人)。
1965年(昭和40年) - 国道356号が制定。
1979年(昭和54年)2月 - 常総大橋が開通。
1995年(平成7年)2月10日 - 「下総町立歴史民俗資料館」が開館[2][3]。
1996年(平成8年)3月22日 - 国道356号バイパスが町内区間の開通[4]。
2006年(平成18年)
3月23日 - 下総町閉町式(下総町多目的ホール)[5]。
3月24日 - 下総町閉庁式。
3月27日 - 成田市に編入[1]。同日下総町廃止。
行政区域変遷
変遷の年表
年月日旧下総町町域に関連する行政区域変遷
1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い、以下の村がそれぞれ発足[6][7]。
滑河町 ← 滑河村・西大須賀村・大菅村・猿山村
高岡村 ← 高岡村・大和田村・高村・小浮村・野馬込村・小野村
小御門村 ← 名古屋村・成井村・七沢村・高倉村・倉水村・青山村・名木村・中里村・冬父村・地蔵原新田
1955年(昭和30年)2月11日滑河町・高岡村・小御門村が合併し滑河町が発足。
同日、改称し下総町になる。
2006年(平成18年)3月27日下総町は大栄町とともに成田市に編入され、消滅。
変遷表
1868年
以前明治22年
4月1日明治22年 - 昭和64年平成元年 - 現在現在
滑河村滑河町昭和30年2月11日
滑河町
即日改称
下総町平成18年3月27日
成田市に編入成田市
西大須賀村
大菅村
猿山村
高岡村高岡村
大和田村
高村
小浮村
野馬込村
小野村
名古屋村小御門村
成井村
七沢村
高倉村
倉水村
青山村
名木村
中里村
冬父村
地蔵原新田
姉妹都市
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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