下総国葛飾郡大嶋郷戸籍 (しもうさのくにかつしかぐんおおしまごうこせき)は、721年(養老5年)に作成された「正倉院古文書正集(しょうそういんこもんじょせいしゅう) 第二十一巻」に収録されたもので、奈良・東大寺の正倉院に残存する古代の戸籍のひとつ。 資料によれば大嶋郷は甲和里、仲村里、嶋俣里からなる郷となっている。律令国家では690年(持統天皇4年)の庚寅年籍の後、50戸を単位として里別に戸籍を作成してきたが、715年(霊亀元年)に郷里制を施行して、それまでの里を郷と称して、郷を約3つの里に区分した。そして従来の里長(郷長)に加えて里正を置いて行政の末端を強化し、班田収受や課役徴収を効率的に行える体制を整えた。この戸籍によると大嶋郷
概要
この戸籍中に、姓は「孔王部(あなほべ)」、名は「刀良(とら)」という33歳の男性と、別の世帯に同姓の「佐久良賣(さくらめ)」という34歳の女性の名がある。これらが、映画「男はつらいよ」の主人公とその妹と同じ名ということで話題になった。
、同区柴又の、いずれも太日川(江戸川)の自然堤防上。などの説がある。
埼玉説の根拠としては、
葛飾御厨には、嶋俣(しままた)・今井・東一江(ひがしいちのえ)・・・という地名が登場し、嶋俣(現在は地名喪失)に隣接して今井があった[2]。この嶋俣は柴又とは約7km離れており、この嶋俣が後世柴又になったとは考えられない。この嶋俣は戸籍の嶋俣里とは全く別の地域である。
下高野村(埼玉県杉戸町)の永福寺龍燈山伝燈記に戸籍の仲村里の里正孔王部堅の伝承がある。
杉戸町大字杉戸にある杉戸集会所の敷地内には香取神社が鎮座し、孔王部一族の氏神の伝承を持っている。
『義経記』巻二に「下総国高野の領主は陵兵衛(みささぎのひょうえい)と申し候」と登場する高野村豪族陵兵衛は、孔王部の末裔であって、陵戸を支配管理したと考えられる。
なお、この大嶋郷は平安海進があったとされる同時期に文献から姿を消している。
脚注・出典^ 茂木和平著「埼玉苗字辞典」より
^ 田数注文の古文書である「櫟木文書」より
更新日時:2016年11月23日(水)20:14
取得日時:2017/11/23 18:25