下筌ダム
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下筌ダム


所在地左岸:大分県日田市中津江村大字栃野
右岸:熊本県阿蘇郡小国町大字小竹
位置.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度09分35秒 東経130度59分02秒 / 北緯33.15972度 東経130.98389度 / 33.15972; 130.98389
河川筑後川水系津江川
ダム湖蜂の巣湖
ダム諸元
ダム型式アーチ式コンクリートダム
堤高98.0 m
堤頂長248.2 m
堤体積280,000
流域面積185.0 km²
湛水面積200.0 ha
総貯水容量59,300,000 m³
有効貯水容量52,300,000 m³
利用目的洪水調節不特定利水
上水道発電
事業主体国土交通省九州地方整備局
電気事業者九州電力
発電所名
(認可出力)下筌発電所
(15,000kW
施工業者西松建設
着手年/竣工年1958年/1972年
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下筌ダム(しもうけダム)は、大分県日田市熊本県阿蘇郡小国町にまたがる、一級河川筑後川水系津江川に建設されたダムである。

国土交通省九州地方整備局が管理をする国土交通省直轄ダムで、高さ98.0メートルアーチ式コンクリートダムである。1953年昭和28年)6月昭和28年西日本水害による被害を受け、筑後川水系治水基本計画の一環として下流にある松原ダム(筑後川)と同時に建設された特定多目的ダムであり、筑後川の治水と日田市への利水、水力発電を目的としている。また、菊池川水系とトンネルによって貯水を融通している。

ダム建設に伴って繰り広げられた日本最大級のダム反対運動・「蜂の巣城紛争」の舞台としても知られている。ダムによって形成された人造湖は、蜂の巣城紛争にちなんで蜂の巣湖(はちのすこ)と命名された。なお、ダムの堤上には主要地方道天瀬阿蘇線が通っている。
沿革下筌発電所。ダム左岸の大分県側にある。

1953年(昭和28年)の昭和28年西日本水害を契機に建設省(現国土交通省九州地方整備局)は多目的ダムによる洪水調節を図り、「筑後川総合開発事業」に基づき筑後川本川に松原ダム、左支津江川に下筌ダムの建設を行った。両ダムとも1973年(昭和48年)に完成し現在は国土交通省九州地方整備局筑後川ダム統合管理事務所によって総合的に管理されている。

ダムの型式は筑後川水系で唯一のアーチ式コンクリートダム。当初は堤高108.0mで9門の非常用洪水吐と3門の常用洪水吐を持つダムとして計画されていたが、後に計画変更となり堤高を10m下げて98.0mとし、洪水吐も減らした。目的は洪水調節と発電であったが1977年(昭和52年)より松原ダムと共に再開発事業に着手。有明海ノリ養殖に必要な維持流量の確保のために不特定利水を追加、更に上水道目的も追加した。現在は福岡県佐賀県の有明海漁業協同組合の要請を受けると養殖に必要な維持流量分をその都度放流し、ノリ生育を助ける重要な役割を担っている。また、度重なる洪水において上流からの流木を塞き止め、下流への流倒木災害を防いでいる。

更に導水トンネルを通して竜門ダム菊池川水系迫間川)の斑蛇口湖との間で導水を行い、渇水期における水の融通を図ることで有効な水資源の運用を行い、水不足に陥りやすい福岡都市圏への上水道供給を図っている。

「上下流の人々をつなぐ筑後川源流の保全活動?植樹交流で下筌ダム湖のある地域を心の故郷へ?」が、平成30年度国土交通省手づくり郷土賞受賞。
蜂の巣城紛争

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この下筌ダム・松原ダム建設において、そして日本の公共事業において避けて通れない問題として1958年(昭和33年)から1971年(昭和46年)まで13年間にわたり続いた、日本のダム史上最大の反対運動「蜂の巣城紛争」がある。
経緯

1958年(昭和33年)、建設省九州地方建設局は松原・下筌ダムの実施計画調査を開始。水没予定地に住む住民への説明会を実施した。だがこの説明会はダム建設の必要性のみを説明し、住民の最大関心事である補償問題について何一つ語られることは無かった。この説明不足に対して、室原知幸(むろはらともゆき)を中心とした住民は、建設省に不信感を抱き、やがて小国町において「建設絶対反対」の決議を採択することになった。

これに対し建設省は、ダム建設を早期に進めるため土地収用法に基づく立木伐採を行おうとした。この立木地主の中に室原が居たが、建設省の強引な対応に態度を硬化させ、今後一切の交渉断絶を宣言した。住民は玄関に「建設省関係者立ち入り禁止」の張り紙を貼り組織的な抵抗を図った。抵抗運動は更に加速し、1959年(昭和34年)に下筌ダム建設予定地の右岸に監視小屋を建設し、住民が絶えず常駐して監視を行った。これが「蜂の巣城」である。

室原は翌1959年(昭和35年)に入ると、建設省に対し「玖珠川にはダムを建設せず、地質の悪い大山川流域にのみダムを建設するのは問題」など「筑後川総合開発事業」の不備を15項目にわたり指摘した事業認定意見書を提出したが、建設省はこれに回答することなく、同年4月に事業認定を行った。室原はこれに対し事業認定の無効を求め行政訴訟を起こすに至り、ダム建設の是非が法廷で問われることになった。

1950年代から1960年代にかけては、安保闘争をはじめ全国的に労働運動が盛んな時期であったが、九州においても三池争議などが活発であった。労働組合員や活動家等が支援し、「特定企業(九州電力)へ奉仕するためのダム建設反対」というスローガンを掲げ反対活動を行った。


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