下池部
大字
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度7分1.9秒 東経138度17分49.6秒 / 北緯37.117194度 東経138.297111度 / 37.117194; 138.297111
国 日本
都道府県 新潟県
市町村 上越市
標高15 m
人口(2017年(平成29年)12月31日現在)[1]
? 合計160人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号943-0119[2]
市外局番025 (上越MA)[3]
ナンバープレート上越
下池部(しもいけべ)は新潟県上越市の大字。頸城郡下池部村[4]、中頸城郡下池部村、中頸城郡津有村大字下池部、高田市大字下池部。郵便番号は943-0119(高田郵便局管区)[2]。
地理との間にあり、上越市のほぼ中央に位置する[4]。北部で上野田、東部で上池部、東南部で吉岡、南部で本新保及び新保古新田(飛地含む)、西部で藤塚、西北部で長面及び平成町と接する。
住宅は地内を西北から東南に貫く新潟県道302号本高津戸野目線沿いに集中し、両側に農地が広がる。南東部の畑地を除いて農地のほとんどが水田であり、一部養豚が行われる[4]。郵便の父である前島密の生誕地としても知られ、郵政資料館の分館である前島記念館が県道沿いの集落中央に存在する[5]。かつては「下池辺」とも書かれた[4][6]。
歴史前島密
古くは越中国に属し、大宝2年(702年)3月に越後国に編入されて以降、廃藩置県まで越後国に属した。古くは単に「池部」または「池辺」と呼ばれた[4]。天正11年(1584年)に作成されたと推定される7月13日付の益田照従副状において「イケヘ」、天正15年(1588年)に作成されたと推定される本願寺顕如書状に「イケヘ村」の記載が見られ、古くは上池部と1村を構成していた。また、1593年(文禄元年)12月17日付の本願寺教如印判状、1594年(文禄2年)6月7日付の本願寺教如印判状にも当地域の記載が見られる。本願寺顕如書状によると、当時は下池部村より本願寺に志納金の上納が行われている[4]ほか、真宗門徒が講を結成していた[7]。
江戸時代になると東に隣接する場所に新しく池部村が開村され、『慶長国絵図』においては郷境を隔てて2つの池辺村が記載されている[4]が、後に新しく開村された高津郷側を上池部村とし、津有郷側は下池部村となる。江戸時代初期には高田藩領、天和元年(1681年)からは天領。『慶長国絵図』によれば、村高は302石余り、『天和高帳』によれば464石余り、『天保郷帳』によれば村高は470石とされる[4]。また、江戸時代には既に中江用水を利用していたと見られる[4]。
1889年(明治22年)に下池部村は頸城郡より中頸城郡となり、1899年(明治32年)の町村制施行により下池部村は中頸城郡津有村大字下池部となった[4]。