下條正巳
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しもじょう まさみ
下絛 正巳
本名下絛 正巳
別名義下條 正巳
生年月日 (1915-08-26)
1915年8月26日
没年月日 (2004-07-25) 2004年7月25日(88歳没)
出生地 日本統治下朝鮮釜山
死没地 日本東京都
職業俳優
ジャンル映画、舞台、テレビドラマ
活動期間1936年 - 2004年
配偶者田上嘉子
著名な家族下絛アトム(長男)
主な作品
テレビドラマ
夏子の酒
長男の嫁』シリーズ
僕が僕であるために
'98新春ドラマスペシャル 味いちもんめ』映画
白い巨塔
男はつらいよ』シリーズ(第14作から第48作)
八つ墓村
キネマの天地
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下絛 正巳(しもじょう まさみ、1915年8月26日 - 2004年7月25日)は、日本俳優。下条 正巳の表記も用いられたが、本名の正式な表記は下絛 正巳であり、こちらの表記が用いられる場合がある[1]
来歴・人物

釜山生まれ[2]。両親は長崎県壱岐の出身[2]。釜山第一商業学校卒業。20歳まで釜山で育ち映画監督を志し上京[2]1936年村山知義らの新協劇団に入団し、『天祐丸』で初舞台を踏む。

戦後、第2次新協劇団の創建に参加。

1951年劇団民藝に入団。多くの舞台に出演するが、1971年に内部での対立が起こり、佐野浅夫鈴木瑞穂佐々木すみ江らと退団してフリーとなった。

映画・テレビドラマにも進出し、中でも『男はつらいよ』シリーズでの3代目・おいちゃん(車竜造)役は広く知られている[注 1]。なお、初代・二代目と比較するとシリアス寄りのキャラクターへとなったが、これまでの森川信松村達雄のおいちゃん役では表現しきれなかった、「普段は寅次郎に厳しく接し、親代わりとして真剣に心配している」という芝居の良さが寅さんファンの語り草の1つとなっている。一方で、初期の、おいちゃん自身も結構なダメ男であるという設定は後退した。

松竹映画を支える名脇役の1人として活躍したのち、晩年は北野武監督作品にも迎えられた。

2004年7月25日午後3時55分、膵臓がんで都内の自宅で死去。88歳没。1999年10月放送のテレビドラマ『旅立つ人と』(脚本・山田太一)が遺作となった。妻は元女優の田上嘉子、長男は俳優の下條アトム
出演作品
映画

結婚の生態(1941年、東宝) - 日東新聞記者

暴力の街(1950年)

真空地帯(1952年、新星映画)

ひろしま(1953年、日教組)

黒い潮 (1954年、日活) - 政治部記者

泥だらけの青春(1954年、日活) - 北野

(1955年、近代映画協会) - 踏切の警官

こころ(1955年、日活) - 周旋屋

石合戦(1955年、民芸) - 千代松

銀心中(1956年、日活) - 町内会長

神阪四郎の犯罪(1956年、日活) - 山岸

病妻物語 あやに愛しき(1956年、日活) - 街を歩く夫婦

狙われた男(1956年、日活) - 大阪寿司の主人

哀愁の園(1957年、日活) - 丸十の高橋

危険な年齢(1957年、日活) - 新聞記者

大学の暴れん坊 (1959年)

十代の恋よさようなら(1958年、日活) - 小島刑事

血の岸壁(1958年、日活) - 県庁麻薬官

その壁を砕け(1959年、日活) - 相生署の刑事

若い傾斜(1959年、日活) - 尾崎営業部長

世界を賭ける恋(1959年、日活) - 北沢教授

「黒い落葉」より 青春を吹き鳴らせ(1959年、日活) - 編集長山内

才女気質(1959年、日活) - 織常

よせよ恋なんて(1960年、日活) - 赤沢社長

早射ち野郎(1961年、日活) - 真山医師

街に気球があがる時(1961年、日活) - 大学教授

激流に生きる男(1962年、日活) - 野崎刑事

銀座の恋の物語(1962年、日活) - 医者

さすらいの賭博師(1964年、日活) - 坂田信雄

証人の椅子(1965年、大映) - 安井副部長

真紅な海が呼んでるぜ(1965年、日活) - 原島

私は泣かない 81966年、日活)

青春ア・ゴーゴー(1966年、日活) - 増田浩の父

白い巨塔 (1966年、大映) - 今津教授

赤木圭一郎は生きている 激流に生きる男(1967年、日活) - 野崎刑事(撮影は1961年)

黒部の太陽(1968年、日活) - 神田


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