下条忠親
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 凡例下条忠親
時代安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕不明
死没元和3年9月25日1617年10月27日[1]
別名采女正
主君上杉景勝
氏族河田氏、下条氏
父母河田元親、下条実親
子正親
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下条 忠親(げじょう ただちか)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将上杉氏の家臣。蒲原郡白河庄下條を治める。
略歴

河田元親の次男として誕生。揚北衆の下条実親の養子となった。天正6年(1578年)の御館の乱や同9年(1581年)の新発田重家の乱において上杉景勝方として行動した。

主家の会津移封時には秋山定綱と共に二本松城代を勤める。慶長6年(1601年)、上杉家の米沢転封にも従い、慶長13年(1608年)に鮎貝城代となり、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣にも参戦している。
脚注^ 花ヶ前盛明編『上杉謙信大事典』(新人物往来社、1997年)89頁


更新日時:2020年6月23日(火)11:14
取得日時:2021/11/20 01:38


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