日本の政治家下条 みつしもじょう みつ
防衛大臣政務官就任に際して公表された肖像写真
生年月日 (1955-12-29) 1955年12月29日(68歳)
出生地 日本 長野県松本市
出身校信州大学経済学部
所属政党(民主党(羽田G)→)
(民進党→)
(希望の党→)
(国民民主党 / 新政信州→)
立憲民主党 / 新政信州(泉G)
称号経済学士(信州大学)
親族父・下条進一郎(元厚生大臣)
祖父・下条康麿(元文部大臣)
公式サイト ⇒衆議院議員 下条みつ(公式ホームページ)
衆議院議員
選挙区長野2区
当選回数5回
在任期間2003年11月9日 - 2012年11月16日
2017年10月24日 - 現職
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下条 みつ(しもじょう みつ、1955年12月29日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員(5期)、立憲民主党長野県連代表[1]。元防衛大臣政務官。戸籍上の本名は下條 光康[2]。
厚生大臣や参議院議員を歴任した下条進一郎の次男[3]。祖父は文部大臣、参議院議員、貴族院議員を歴任した下条康麿。母方の祖父は日本経済団体連合会(経団連)の初代会長を務めた石川一郎。 長野県松本市生まれ[4]。千代田区立番町小学校、開成中学校・高等学校、信州大学経済学部卒業[4]。大学卒業後、富士銀行に入行し、アメリカ合衆国での勤務も経験した[4]。1990年、富士銀行を退職し、第2次海部改造内閣で厚生大臣に就任した父・進一郎の秘書官に転じる[4]。進一郎の退任後は、証券会社に勤務[4]。 2000年、第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で長野2区から出馬したが、自由民主党前職の村井仁に敗れ、落選した。2003年、第43回衆議院議員総選挙に再び民主党公認で長野2区から出馬し、前回敗れた自民党の村井を下して初当選した(村井も比例復活)。2005年、第44回衆議院議員総選挙で再選。 2009年8月1日、23歳の男性秘書が運転する乗用車が他の乗用車に正面衝突する事故を起こし、同乗していた下条は胸の骨を折る全治1か月の重傷を負った[5]。直後の第45回衆議院議員総選挙では、長野2区で自由民主党新人の務台俊介を大差で破り、3選を果たした[6]。 2011年8月26日、菅直人首相が民主党代表辞任を正式に表明[7]。菅の辞任に伴う代表選挙(8月29日投開票)では前原誠司の推薦人に名を連ねた[8]。同年9月、野田内閣で防衛大臣政務官に任命され、野田第2次改造内閣まで務める。 2012年の第46回衆議院議員総選挙では、長野2区で前回破った自民党新人の務台俊介に約3万票の大差で敗れ、重複立候補していた比例北陸信越ブロックでの復活もできず、落選した。
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