しもかわてむら
下川手村
廃止日1897年4月1日
廃止理由合併
領下村、下川手村、上川手村 → 厚見村
現在の自治体岐阜市
廃止時点のデータ
国 日本
地方中部地方、東海地方
都道府県岐阜県
郡稲葉郡
市町村コードなし(導入前に廃止)
総人口1,226人
(震災誌[1]、1891年)
下川手村役場
所在地岐阜県稲葉郡下川手村
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下川手村(しもかわてむら)は、かつて岐阜県稲葉郡にあった村である。
現在の岐阜市下川手、西川手、東川手、石切町、西明見町、東明見町、矢倉町、村里町、朝霧町、八坂町、正法寺町などに該当する。
南北朝時代から戦国時代にかけて、土岐氏の川手城があり、その城下町であった。この城下町は応仁の乱により都から逃げ延びた公家らが、当時の守護職で力のあった土岐氏を頼って移住したこともあり、大いに繁栄したという。
町村制で当村の発足時は厚見郡であったが、郡の合併で稲葉郡の村となっている。
歴史
1353年(文和2年) - 土岐頼康により川手城が築かれ、川手に城下町が形成される。
1530年(享禄3年) - 川手城が廃城となる。廃城後も川手は斎藤道三等の加護で繁栄したが、織田信長の時代には衰退した。
江戸時代末期、この地は加納藩領であった。
1889年(明治22年)7月1日 - 町村制により、下川手村発足。
1897年(明治30年)4月1日[2] - 方県郡の一部、厚見郡、各務郡が合併し、稲葉郡となる。当村は稲葉郡の村となる。
1897年(明治30年)4月1日 - 領下村、上川手村と合併し、厚見村が発足。同日下川手村は廃止。
脚注[脚注の使い方]^ 角川日本地名大辞典21岐阜県
^ 『揖斐郡志