この存命人物の記事には、出典がまったくありません。信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "下司愉宇起"
下司 愉宇起(しもじ ゆうき、1986年[1]3月24日[2] - )は、熊本県出身の日本の歌手・指揮者・作詞家・音楽プロデューサー。とちぎ未来大使・とちぎ音楽大使。元日光市観光大使(制度廃止)。平成音楽大学講師[3]。
一般財団法人アース エイド ソサエティ理事、日本音楽作家団体協議会理事、世田谷区花道茶道協会理事、日光国際音楽祭実行委員長、全日本児童音楽協会副会長などを務める。
祖父は宗教家の御木徳日止。叔父に俳優の御木裕、筑波大学元教授の有吉豊太郎がいる。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
来歴
出典検索?: "下司愉宇起"
熊本マリスト学園中学校卒業。熊本市立必由館高等学校普通科芸術コース音楽系の第一期卒業生。東京藝術大学音楽学部卒業。ハリウッド大学院大学ビューティービジネス研究科修了およびハリウッド美容専門学校中退。 出生地は東京都町田市だが、3歳の時父親の転勤のため熊本県熊本市郊外のニュータウンに移る。近隣に小学校建設の予定があったが、結局6年間1時間以上徒歩通学していた[4]。 小学校卒業を機に熊本市中心部へ転居した。熊本マリスト学園中学校に進学し、吹奏楽部に入部したことがきっかけで音楽の道へ入る。音楽への思いは募るが音楽基礎力が乏しいため、声楽ならばチャンスがあるのではと考え合唱部に転部。顧問の紹介で後々までの師匠と出会う。しかし両親の理解は得られず、「お年玉とお小遣い」でレッスンに通っていた。両親からは「成績が上がったら許す」と言われ猛勉強の末、中学三年時には成績上位になり音楽活動を許された。 熊本市立必由館高等学校普通科芸術コースに推薦試験で合格。高校時代は、武蔵野音楽大学や昭和音楽大学の教授のレッスンを受けに格安航空会社を利用し通う。 声楽としては中学・高校時代に熊日学生音楽コンクール最優秀賞・県知事賞、犬童球渓顕彰音楽祭大賞、九州音楽コンクール審査員特別賞など多くのコンクールに出場し優秀な成績を収めていたが、大学進学以降はコンクールに出場していない。 現役で東京藝術大学に合格。2年間石神井寮にて生活を送る。学年のインスペクターや四芸祭の委員、また学外活動では東京熊本県人会の活動や日本ルーマニア協会の設立に携わるなど充実した日々を送るが、主科である声楽は、周りの同級生たちとの実力の差や情熱の温度差、また大学三年次からの主科担任と反りが合わなかったこともあり、次第に心苦しむことになる。 大学三年生より知人の紹介により、衆議院議員の吉永治市の邸宅、東京青山・神宮前五丁目に間借りする。その後、同敷地内に転居してきた芸能プロモーターの勧めにより、ミュージカル事務所を紹介される。
幼少期から高校卒業まで
受賞歴
東京藝術大学時代