下北沢駅
しもきたざわ
Shimo-Kitazawa
下北沢駅(しもきたざわえき)は、東京都世田谷区北沢二丁目にある、小田急電鉄・京王電鉄の駅である。
新宿と渋谷の二大繁華街に鉄道で直結していることから、当駅周辺の下北沢も「シモキタ」と通称されるにぎやかな商業地となっている[1]。 小田急電鉄の小田原線と、京王電鉄の井の頭線の2路線が乗り入れ、各路線ごとに駅番号が付与されている。京王電鉄は井の頭南管区所属[2]。
乗り入れ路線
小田急電鉄: 小田原線 - 駅番号「OH 07」
京王電鉄: 井の頭線 - 駅番号「IN05」
歴史
1927年(昭和2年)4月1日:小田原急行鉄道小田原線の下北沢駅開業[3]。
1933年(昭和8年)8月1日:帝都電鉄の下北沢駅開業[4]。
1937年(昭和12年)9月1日:小田原線の「直通」の停車駅となる。
1940年(昭和15年)5月1日:帝都電鉄の同じ鬼怒川水力電気系列の小田原急行鉄道に合併して同社の帝都線となる[5]。
1941年(昭和16年)3月1日:鬼怒川水力電気と小田原急行鉄道が合併、小田急電鉄となる[5]。
1942年(昭和17年)5月1日:東京横浜電鉄に合併され、東京急行電鉄(大東急)の駅となる。帝都線を井の頭線とする。
1945年(昭和20年)6月:小田原線にて従来、新宿駅 - 稲田登戸駅(現・向ヶ丘遊園駅)間のみ運行の「各駅停車」が全線で運行されることとなり、「直通」が廃止される。
1946年(昭和21年)10月1日:小田原線に準急が設定され、停車駅となる。
1948年(昭和23年)
6月1日:東京急行電鉄の解体により、小田原線が小田急電鉄、井の頭線が京王帝都電鉄(1998年に京王電鉄と改称)の所有路線となる[6]。
9月:小田急線に桜準急が設定され、停車駅となる。
1949年(昭和24年)10月1日:小田急線に急行が復活し、停車駅となる。
1955年(昭和30年)3月25日:小田急線に通勤急行が設定され、停車駅となる。
1957年(昭和32年)
この年:小田急線に夏季のみ運行の快速急行が設定され、停車駅となる。海水浴客輸送用の臨時列車であり、2012年時点で運行されている快速急行とは一切関係ない。
5月1日:ホーム有効長が6両編成分となる[7]。
1960年(昭和35年)3月25日:小田急線に通勤準急が設定され、停車駅となる。この頃まで、小田急電鉄の駅の中では新宿駅に次ぎ乗降人員第2位をほぼ維持していた。
1964年(昭和39年)11月5日:小田急線に快速準急が設定され、停車駅となる。
1971年(昭和46年)12月15日:井の頭線に急行が設定され、停車駅となる。
2002年(平成14年)3月23日:小田急線に湘南急行・多摩急行が設定され、停車駅となる[8]。
2004年(平成16年)
9月:小田急線の連続立体化・複々線化工事に着手[9]。
12月11日:小田急線に快速急行・区間準急が設定され、停車駅となる[10]。湘南急行は快速急行の設定により廃止[10]。
2013年(平成25年)3月23日:連続立体交差事業により、小田急線の駅を地下化[11]。
2016年(平成28年)3月26日:小田急線の区間準急が廃止[12]。
2018年(平成30年)
3月3日:当駅を含む代々木上原駅 - 梅ヶ丘駅間の小田急線が複々線化され、緩行線ホームを使用開始[13]。
3月17日:複々線化に伴う小田急線のダイヤ改正が行われ、通勤急行・通勤準急の停車駅となる[14]。また、多摩急行が廃止される[14]。
2019年(平成31年・令和元年)
3月16日:小田急線と井の頭線にそれぞれ中央改札が開設され、小田急線と京王線の改札口が分離[15][16]。
3月29日:ロマンスカーのデザイン、ポスターを長年手掛けた宮永岳彦の原画をもとにした大型陶板レリーフ「出会いそして旅立ち」を小田急線改札内コンコース壁面に設置[17]。
3月30日:小田急線の緩行線ホームにてホームドアの使用を開始[18]。
11月1日:小田急の駅構内に商業施設「シモキタエキウエ」が開業[19]。
2020年(令和2年)12月中旬:小田急線の急行線ホームにてホームドアの使用を開始[20]。
2021年(令和3年)12月12日:井の頭線の2番線ホームにてホームドアの使用を開始[21]。
2022年(令和4年)3月30日:井の頭線の高架下に商業施設「ミカン下北」が開業[22][23]。