下久保ダム
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下久保ダム


所在地左岸:群馬県藤岡市保美濃山
右岸:埼玉県児玉郡神川町矢納
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度07分57秒 東経139度01分21秒 / 北緯36.13250度 東経139.02250度 / 36.13250; 139.02250 (下久保ダム)座標: 北緯36度07分57秒 東経139度01分21秒 / 北緯36.13250度 東経139.02250度 / 36.13250; 139.02250 (下久保ダム)
河川利根川水系神流川
ダム湖神流湖
ダム湖百選
ダム諸元
ダム型式重力式コンクリートダム
堤高129.0 m
堤頂長605.0 m
堤体積1,345,000
流域面積322.9 km²
湛水面積327.0 ha
総貯水容量130,000,000 m³
有効貯水容量120,000,000 m³
利用目的洪水調節不特定利水
かんがい上水道
工業用水発電
事業主体水資源機構
電気事業者群馬県企業局
発電所名
(認可出力)下久保発電所
(15,000kW
下久保第二発電所
(270kW)
施工業者熊谷組間組
着手年/竣工年1959年/1968年
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下久保ダム(しもくぼダム)は、群馬県藤岡市埼玉県児玉郡神川町にまたがる、一級河川利根川水系神流川(かんながわ)に建設されたダムである。

独立行政法人水資源機構が管理する多目的ダムで、堤高129.0m重力式コンクリートダム首都圏の水がめである利根川上流ダム群の一つであり、規模としては矢木沢ダム(利根川)に次ぐ大規模なダムである。また、烏川流域のダム群の中では最も規模が大きい。ダム湖は河川名を採って「神流湖」(かんなこ)と命名され、2005年(平成17年)に当時の鬼石町の推薦によって財団法人ダム水源地環境整備センターが選定する「ダム湖百選」に選ばれている。
地理

神流川は群馬県内における利根川の主要な支流である烏川の右支川である。群馬県・埼玉県・長野県境にある三国山を水源とし、日本航空123便墜落事故の現場である御巣鷹の尾根の付近を流れ、上野ダムを過ぎて北へ流れ、多野郡上野村楢原で東に向きを変える。その後は国道462号に並行して東へ流れ、藤岡市に入ると群馬・埼玉両県の境界線となり下久保ダム・三波石峡を通過後再度北へ流路を変える。藤岡市を通過し関越自動車道・神流川橋を越えると直ちに烏川に合流し、間も無く利根川に注ぐ。流路延長約87.4km、流域面積約407km2の河川であり、長さだけでいえば烏川よりも長い。

ダムは神流川の中流部、藤岡市と神川町の境に建設された。名称は建設された場所に由来する。なお、ダム完成当時の所在自治体は多野郡鬼石町と児玉郡神泉村であったが、平成の大合併によっておのおの藤岡市と神川町になっている。また人造湖である神流湖の一部は、秩父市にも掛かっている。
沿革

1947年(昭和22年)カスリーン台風が襲来し大打撃を蒙った利根川流域。根本的な治水対策が求められるようになった経済安定本部1949年(昭和24年)に利根川を始め全国主要10水系を対象に「河川改訂改修計画」を策定した。利根川については「利根川改訂改修計画」を策定、これに沿って建設省関東地方建設局(現・国土交通省関東地方整備局)は利根川水系に九基の多目的ダムを建設して利根川の総合的な治水を図ろうとした。

烏川は高崎市・藤岡市など群馬県西部(西毛と呼ばれる)を網羅する利根川水系の主要な支流であり、流域面積は群馬県内の利根川水系では屈指であったため利根川の治水対策に与える影響は大きく、河川整備は必須であった。建設省は烏川流域で流域面積の広い神流川に着目、当時の多野郡鬼石町坂原(現・藤岡市坂原)に「坂原ダム」を建設して治水を行おうとした。高さ120.0m、総貯水容量が約2,200万トンという規模のものであった。だが「坂原ダム」は調査を行っただけに終わり、その後より良いダム地点の検索を行った。「坂原ダム」中止後はより上流の多野郡中里村(現・多野郡神流町)神ヶ原地点に「神ヶ原ダム」を建設する計画も浮上したが、これも断念された。

曲折の後に現在のダム地点と下流500m地点の二箇所が最終候補として選定されたが、下流案は地質的な問題があり最終的に現在の下久保地点がダム地点として決定された。こうして建設省直轄ダムとして1959年(昭和34年)4月より事業が着手されたが、この間に東京都を始めとする首都圏の人口急増に伴い水需要がひっ迫。このため系統的な水資源開発が求められて1962年(昭和37年)に「水資源開発促進法」が制定。「利根川水系水資源開発基本計画」(フルプラン)が策定され、以後水資源開発公団(現・水資源機構)による総合的な水資源開発が推進された。これを受け建設省は事業展開していた矢木沢ダムとこの下久保ダムを公団に事業移管し1965年(昭和40年)より本体工事を開始、1968年(昭和43年)に完成した。

ダム建設に伴って群馬県(鬼石町・万場町)と埼玉県(神泉村・吉田町)の二県四町村にまたがる321戸・364世帯が水没対象となった。このためダム建設に対する反対運動は激しく、補償交渉は長期化した。最終的にインフラ整備や地場産業発展育成などといった補償内容が呈示されて交渉は妥結した。首都圏発展の尊い犠牲となった364世帯の住民への報恩のため、現在ダム傍には「望郷之碑」が建立されている。この碑にはダム建設に伴って故郷からの移転を余儀無くされた住民全ての氏名が彫られており、苦渋の決断を行った住民の労苦を偲ばせる。なお、「望郷之碑」の毛筆体を揮毫したのは、当時の内閣総理大臣佐藤栄作である。
目的

神水ダム


所在地左岸:群馬県藤岡市鬼石
右岸:埼玉県児玉郡神川町矢納
位置北緯36度09分08秒 東経139度02分57秒 / 北緯36.15222度 東経139.04917度 / 36.15222; 139.04917 (神水ダム)
河川利根川水系神流川
ダム湖神水湖
ダム諸元
ダム型式重力式
コンクリートダム
堤高20.5 m
堤頂長128.0 m
堤体積19,000
流域面積337.8 km²
湛水面積8.0 ha
総貯水容量235,000 m³
有効貯水容量200,000 m³
利用目的発電
事業主体群馬県
電気事業者群馬県企業局
発電所名
(認可出力)鬼石発電所
(790kW)
施工業者熊谷組
着手年/竣工年?/1967年
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上流から見た下久保ダム。折れ曲がっている堤体を確認できる下久保第二発電所より放流される河川維持放流水

ダムの目的は洪水調節不特定利水水力発電上水道工業用水である。

洪水調節は他の利根川水系ダム群と連携した形で行われ、治水基準点である伊勢崎市八斗島地点における計画高水流量(過去最大の洪水流量。


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