下中野
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、岡山県岡山市北区及び南区に跨る大字について説明しています。秋田県雄勝郡羽後町の地名については「下中野 (羽後町)」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 岡山県 > 岡山市 > 北区 (岡山市) > 下中野日本 > 岡山県 > 岡山市 > 南区 (岡山市) > 下中野

下中野
しもなかの
大字
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}下中野
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度38分19秒 東経133度54分7秒 / 北緯34.63861度 東経133.90194度 / 34.63861; 133.90194
日本
都道府県 岡山県
市町村 岡山市
行政区北区及び南区
新設1889年明治22年)6月1日
面積
 ? 合計0.91 km2
最高標高2.4 m
最低標高0.1 m
人口(2020年(令和2年)4月30日現在)[1]
 ? 合計4,326人
 ? 密度4,800人/km2
等時帯UTC+9 (JST)
郵便番号700-0973[2]
市外局番086
ナンバープレート岡山

下中野(しもなかの)は、岡山県岡山市北区及び南区に跨る大字郵便番号は700-0973(岡山中央郵便局管区)。住居表示に関する法律に基づく住居表示は実施されていない[3]
地理

岡山市中心部の南西、北区南区の境に位置する東西に長い地区である。目抜き通りである県道21号岡山児島線、市道新保138号線、市道今西市線沿線には郊外型のロードサイド店舗が立地しており、特に岡山児島線と市道新保138号線が交わる下中野交差点付近には大型商業施設が複数立地している。それ以外の地域は基本的にアパートや一軒家を中心とした住宅街が広がっており、一部には工場農地も存在する。

2010年国勢調査による人口は4434人、世帯数は2187世帯、面積は91万5215.60m2、人口密度は4844.8人/km2[4]

地区内の道路は県道21号岡山児島線と市道新保138号線が上下6車線の大通りであり非常に交通量が多いほか、西部では市道今西市線沿線も上下4車線の目抜き通りとなっている。地区内では東から新保下中野(1995年-2013年)、西部第三(1978年-1997年)、西市下中野(1994年-2007年)、今(1970年-1990年)の4つの土地区画整理事業が実施されている[5]ため、下中野における大部分の道路はそのいずれかの区画整理によって拡幅あるいは新設された街路となっている。ただし、それら区画整理が行われていない一部地域には狭隘な生活道路も残されている。
小・中学校の学区

行政上、下中野は一体ではなく、公立中学校に通学する場合、学区は次のように指定されている[6] 。ただし郵便番号は全域で共通である。

区区域小学校中学校
北区701番?722番、1218番?1231番西小学校御南中学校
上記を除くJR瀬戸大橋線より西の区域大元小学校桑田中学校
南区901番芳明小学校芳田中学校
上記を除くJR瀬戸大橋線より東の区域芳田小学校

隣接する町丁

今 今村上中野 大元 西古松大元駅前 東古松南町 東古松
平田富田
   下中野   

西市 新保

歴史

地名の由来は、野原が開拓された地を上と下に分けたことによる。もとは御野郡1900年4月1日からは御津郡)下中野村であり、更に遡れば上中野村と合わせて一村で中野村と称した[7]

南朝の忠臣多田頼貞赤松氏の軍勢に敗れて網浜から当地に隠れ忍んだという説がある。江戸時代は宇喜多氏小早川氏の支配を経て、1603年慶長8年)から岡山藩領となる。村内は旭川を水源とする西川用水から取水し、金毘羅往来が通っている。1875年明治8年)には東部に位置していた木村を併合した。1889年(明治22年)6月1日には下中野村を含む周辺7つの自然村の区域を以って町村制を施行し、新たに今村が成立したことにより同村の大字として下中野が新設された。1910年(明治43年)6月12日には中央部に宇野線が開通し、1925年(大正14年)3月6日には下中野北東部から岡山駅の間で経路が変更され、鹿田駅が移転し大元駅に改称されたことにより下中野近辺から鉄道が利用可能となった。下中野周辺ではそれまでムギが生産の中心であったが、昭和初頭以降は湿田を利用してイグサも生産されている。

1952年(昭和27年)4月1日には今村が岡山市と合併し、下中野は同市の大字となる。1951年(昭和26年)8月1日には東部を通る汽車製造の旧専用線を転換した岡山臨港鉄道が営業を開始し、下中野に駅は置かれていないが、岡南新保駅が近接していた。それまでは純然たる農村地帯であったが、高度経済成長期になると中央部を通る県道21号岡山児島線沿線に運輸・金属・電気関係の事業所が進出し、南西部・東部は宅地化が進行した。隣接町の住居表示の実施に伴い、1969年(昭和44年)7月20日に下中野の一部を大元駅前へ編入し、1982年(昭和57年)11月20日に下中野の一部を上中野一?二丁目、今一?八丁目及び大元一?二丁目へ編入した。1984年(昭和59年)12月30日には岡山臨港鉄道が廃線となり、起点の大元駅から国道30号に至る2km区間は緑道公園「臨港グリーンアベニュー」として整備された。

2001年(平成13年)12月16日JR宇野線の高架化により下中野の東西分断が解消された。2009年平成21年)4月1日には岡山市の政令指定都市移行により行政区が設置されたが、下中野は宇野線の鉄道敷を境に北区南区に分けられた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:33 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef