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上野 顕太郎
生誕 (1963-04-18) 1963年4月18日(61歳)
日本・東京都町田市
職業漫画家
活動期間1984年 -
ジャンルギャグ漫画
代表作『帽子男は眠れない』
『夜は千の眼を持つ』
『さよならもいわずに』
受賞第21回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞
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上野 顕太郎(うえの けんたろう、1963年4月18日 - )は、主にギャグ漫画を執筆する日本の漫画家。東京都出身。ニックネームはウエケン、うえけん。妻は声優・女優の上野アサ。
主な作品に『帽子男は眠れない』(1992年)、『ゲームびと』(1998年)、『ひまあり』(2000年 - 2002年)、『夜は千の眼を持つ』(2006年 - )、『さよならもいわずに』(2010年)などがある[1]。以上のうち『さよならもいわずに』だけはギャグ漫画ではなく「妻の死」を扱ったドキュメンタリータッチの作品であり、2011年のマンガ大賞にノミネートされた。
キャッチフレーズは「ヒマ(暇)」「五万○」など。前者は「ヒマだからな!」「暇を売りにしている」などと使われ、後者は「五万人だ!」「五万階だ!」などと使用される。 緻密に描き込まれた絵と、ナンセンスでシュールな作風が特徴。また、アメリカン・コミックスの画風を真似たパロディや、SFギャグも得意とする。基本的には全年齢向けのギャグ漫画を描いているが、掲載紙が青年向けの場合、『朝日のようにさわやかに』第12話「夜歩く」[2]のように性的なシーンも登場する。 背景などの書き込みもアシスタントをあまり使用しないために遅筆であり、1984年デビューからの活動期間に比して作品数は少ない。しかし、漫画のアイデアについては「泉のごとく」湧き続けているとのこと[3]。 望月三起也の逝去にあたり寄せたパロディ「追悼 望月三起也」(『夜の眼は千でございます』収録)では、望月のトーンを使わない画風を再現するにあたり、背景に無数の線を引いたという。このことに関し上野は、「トレースは一切していないです。トレースしたら負けなので」と語っている。[4] 自身の作品については、初の単行本である『帽子男は眠れない』の「あとがき[5]」にて「人生の不条理」を内包しているとの考えを記している。その引き合いとして、西村晃主演のNHKドラマ『あの角の向こう』(上野は『あの坂の向こう』と記している)を出し、「あとがき」そのものが1頁しかないにもかかわらず、頁の半分を使ってその第1話を説明している。 モンティ・パイソンのように「1作ごとに1アイディア使い捨て」というコストパフォーマンスの悪い芸風を旨とするが、30年近い経歴において、しばしば共通キャラクター・シチュエーションによる連作が(時には掲載誌・版元をまたいで)存在する(さわやか君、帽子男、など)。 また、上野が発案に協力したゲソピンくんを、しりあがり寿、とり・みきらと広めている。上野自身もゲソピンくんを『夜は千の眼を持つ』に登場させた(「サチコの彼はどんな人」[6]ほか)。 漫画家になることを志したのは小学6年生の時である[7]。卒業文書で決意表明をし、以後、中学、高校、大学と、友人たちと同人誌活動を行っていた[8]。高校卒業を機に投稿を開始し、大学へ通いながら執筆を継続。「中学の頃の作品は恥ずかしくて人に見せられないが、プロを目指した19歳以降の作品は見せられる[9]」と語っており、2009年の単行本『五万節』には、1983年に執筆し、それまで未掲載だった「Dを訪ねた2人」が掲載された。また、同じく未掲載だった「風下侍」(執筆年は不明)は、『謹製イロイロマンガ』(2009年)に収録されている。 「Dを訪ねた2人」は、1983年の「第21回週刊少年チャンピオン新人まんが賞」で特別奨励賞を受賞した作品である。審査員の手塚治虫からは発想とギャグのセンスを褒められ、同じ審査員の山上たつひこからは「テンポの悪さがギクシャクした面白さを造っている」と評された[10]。なお、この「D」とはドラキュラのことである。 デビュー作は「煙草撲滅委員会」であり、1984年、『週刊少年チャンピオン』に掲載された。単行本では『上野漫画』、『五万節』に収録されている。なおこの時21歳、当時住んでいた町田駅前のアパートにはデビュー前の吉田戦車が住んでおり、入居時の挨拶で顔を合わせているという。[11]『五万節』に再録された際は「デビュー作と表記される事が多い[12]」と言葉を濁している。漫画家として生活が成り立たない時期に警備員のアルバイトをしていたことがあり、「会議は脅す」はその時期に描かれている(「コミック94」春号に掲載されたが、執筆は1987年の正月)[13]。 「マンガノゲンバ」(NHK-BS2、2007年12月4日放送分)の“作者ノゲンバ”コーナー内では、「デビューしてからギャグマンガ一筋!」として紹介された。自宅兼仕事場兼書庫が映像で捉えられ、『夜は千の眼を持つ』カバー裏の画(本の山)が真実であったことを知らしめた。この取材については、「マンガノゲンバノゲンバ」(『明日の夜は千の眼を持つ』 183-190頁に収録)にて描かれている。 マンガ、エッセイ、四コマと形態を変え、現在も『ファミ通PS』にて長期連載中。公式コミュニティ『COM2ウェブ編集局 2016年4月から2年間、京都精華大学マンガ学部ギャグ漫画コースで講師をつとめた。 2018年、『夜の眼は千でございます』で第21回文化庁メディア芸術祭マンガ部門にて優秀賞を受賞。 父親は抽象画家の上野憲男[14]。 前妻はキホ(旧姓は非公開)、後妻は上野アサ。キホは、2004年12月10日に34歳で死去した[15]。自叙的に描いた作品『さよならもいわずに』を「コミックビーム」に連載し、後に単行本化された。 上野の作風として「写真を漫画に取り込む[16]」「写真で原稿を構成する[17]」といったものがあり、妻は2人とも架空のキャラクターとして作品で画像を使用されている(上野自身も登場することがある)。また、キホの場合、キホ自身として漫画に登場することがあった(『ひまあり』に顕著)。「上野嫁」として、キホは公私共に上野にとって欠かせない人物であった[18]。 上野アサについては、「新嫁・亜沙」と書かれており[19]、コミックビーム2010年9月号の「編者武芸帳」(『明日の夜は千の眼を持つ』に収録)に登場しているほか、『帽子男』、『謹製イロイロマンガ』などの単行本の表紙のモデルとなっている[20][21])。
作風
経歴
家族構成