上野賢一郎
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日本政治家上野 賢一郎うえの けんいちろう
財務副大臣の就任に際して公表された肖像写真
生年月日 (1965-08-03) 1965年8月3日(58歳)
出生地 日本 滋賀県長浜市
出身校京都大学法学部卒業
前職総務省自治税務局都道府県税課長補佐
所属政党(自由民主党→)
無所属→)
自由民主党(森山派→無派閥)
称号法学士(京都大学・1990年
公式サイト ⇒うえの賢一郎公式webサイト 妥協なき男 自民党衆議院滋賀2区支部長 上野賢一郎。
衆議院議員
選挙区(滋賀1区→)
滋賀2区
当選回数5回
在任期間2005年9月12日 - 2009年7月21日
2012年12月19日[1] - 現職
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上野 賢一郎(うえの けんいちろう、1965年8月3日 - )は、日本政治家自治総務官僚自由民主党所属の衆議院議員(5期)。

国土交通大臣政務官第2次安倍改造内閣第3次安倍内閣)、財務副大臣第3次安倍第3次改造内閣第4次安倍内閣第4次安倍改造内閣)、衆議院内閣委員長、自由民主党財務金融部会長、同経済産業部会長、同滋賀県連会長[2]などを務めた。
来歴

滋賀県長浜市出身。滋賀県立虎姫高等学校を経て、1990年に京都大学法学部卒業後、自治省へ入省。その後、岩手県庁に勤務した。2003年総務省自治税務局都道府県税課長補佐を最後に退官。

2003年11月9日第43回衆議院議員総選挙に、滋賀1区から自由民主党公認で出馬したものの、民主党現職の川端達夫に敗れ落選。2004年第20回参議院議員通常選挙に、自民党公認で滋賀県選挙区から出馬したが、民主党の林久美子に敗れた。

2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙では、川端を破って初当選した(川端は比例復活)。

2007年、自民党税制調査会幹事に就任。

2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙には、自民党の公認、公明党の推薦を受けて出馬[3]。川端に対して高島市では僅差で勝利するものの、大票田の大津市で大差をあけられ、比例復活も出来ずに落選した。同年12月に、県内の自民党国会議員が全員落選して空席となっていた[要出典]自民党滋賀県連会長に就任。

2010年6月、同年7月の滋賀県知事選挙に無所属で出馬する意向を表明。自民党を離党した。知事選への出馬については、自民党滋賀県連による候補者擁立が難航した結果、県連会長として候補擁立の最高責任者であった上野に対して「強烈な立候補の働きかけ」があったとされている[4]。同年6月16日には守山市彦根市栗東市近江八幡市の4市長が滋賀県庁で会見し、「市長有志の会」を設立し、知事選で上野を支援すると発表した。この会は現職の嘉田由紀子と新幹線新駅で対立してきた栗東市長、ダムで対立してきた彦根市長が参加している。会への参加を見送った市長からは、市長が知事選へ積極的に参画することに疑問の声も上がった[5]。また、上野の選挙対策本部は同日に行われた第22回参議院議員通常選挙滋賀県選挙区から出馬した武村展英と同一の本部が仕切っており、自民党が前面に出ているのは明らかであるにもかかわらず政党色を消そうとする上野に対して、現職の自民党県議からも批判の声が出た[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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