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銀座線渋谷駅の旧ホーム。写真奥に見えるのが上野検車区渋谷分室があった場所。
上野検車区渋谷分室(うえのけんしゃくしぶやぶんしつ)は、かつて東京都渋谷区道玄坂にあった東京地下鉄(東京メトロ)の車両基地である。
元は帝都高速度交通営団(営団地下鉄)渋谷検車区であるが、2000年(平成12年)3月に上野検車区に組織統合され、上野検車区渋谷分室となった[1]。その後、2001年(平成13年)6月に渋谷分室の組織は廃止された[1]が、車庫設備は引き続いて使用されている。
現在の名称は渋谷駅構内側線[2](東京メトロの公式な監修) または渋谷車庫[3]となっている。銀座線渋谷駅の引上げ先、渋谷マークシティ3階にある。 最初は1938年(昭和13年)12月に東京高速鉄道の渋谷電車庫として開設された[4]。1941年(昭和16年)9月、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)発足後は、営団に引き継がれた[4]。戦後の銀座線の輸送力増強時には車両基地が手狭なため、車両を分割して留置せざるを得ないなど、収容力に難があった。そのため、1953年(昭和28年)7月と1958年(昭和33年)11月(車両分割はこの時点で解消)には拡張工事が実施され、度重なる輸送力増強への対応が行われてきた[4]。 このため、1964年(昭和39年)3月には上野検車区同様に工場業務を廃止して、業務は丸ノ内線の中野工場へと移管した。そして、1968年(昭和43年)3月の上野検車区の拡張工事後(地下留置線の完成)は検車業務は上野に集中させ、渋谷検車区では上野検車区の補完的な業務を担当することになった。しかし、渋谷周辺は繁華街をはじめとした都市部という地理的な条件から、大規模な改良工事は見送られてきた[5]。 2019年(令和元年)12月27日まで、渋谷駅に到着した車両は折り返しのために全て同車庫に回送されていた。工事運休を経た翌2020年(令和2年)1月3日より渋谷駅が新駅舎に移設され、ホーム上での折り返しが可能となったが、入出庫列車は2番線から続く車庫への線路を経由して回送される。 銀座線渋谷駅より渋谷検車区への高架橋は、経年による老朽化がみられ、早急な対策が必要とされていた[5]。さらに付近にある東急バス専用道(旧東急玉川線軌道跡)、京王井の頭線渋谷駅においても、混雑緩和の必要性があった[5]。このことから、1979年(昭和54年)7月に営団地下鉄(現・東京地下鉄)・東京急行電鉄(現・東急)・京王帝都電鉄(現・京王電鉄)3社による渋谷地区の土地の一体化と高度立体利用計画の検討が開始された[5]。 最終的な計画では京王井の頭線側に地上25階、地下2階から構成される商業施設とホテルビルを、渋谷検車区側には地上23階、地下1階から構成される商業施設、駐車場、オフィスビルを建設する再開発事業を行うことになった[5][6]。
歴史
敷地面積:7,636 m2(再開発前)
車両収容数:6両編成9本(54両)[3] - (再開発後)
車庫内には自動洗浄機も設置されているほか、保線車両の機材線がある[3]
渋谷地区再開発事業