上野本郷
大字
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}上野本郷上野本郷の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度56分10.35秒 東経139度33分41.76秒 / 北緯35.9362083度 東経139.5616000度 / 35.9362083; 139.5616000
国 日本
都道府県 埼玉県
市町村 上尾市
地区平方地区
面積
? 合計0.41[1] km2
人口(2019年(平成31年)1月1日時点)[2]
? 合計437人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号331-0000[3]
市外局番048(浦和MA)[4][5]
ナンバープレート大宮
座標の場所は上野本郷公民館を示す
上野本郷
大字
上野本郷上野本郷の位置
北緯35度55分32.90秒 東経139度33分42.70秒 / 北緯35.9258056度 東経139.5618611度 / 35.9258056; 139.5618611
国 日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
区西区
地域旧大宮市域
人口(2019年(平成31年)4月1日時点)[6]
? 合計0人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号331-0000[7][注釈 1]
市外局番048[4]
ナンバープレート大宮
上野本郷(うえのほんごう)は、埼玉県上尾市および同県さいたま市西区[8]の大字。
上尾市の統計などでは平方地区で分類されている。郵便番号は上尾市が362-0056[3]、さいたま市西区が331-0000[7][注釈 1]。 埼玉県の県央地域で、上尾市南西部の大宮台地上[9]で上尾市の最南端に位置する。東側で大字平方領領家やさいたま市西区大字中釘に、南側から西側にかけてさいたま市西区大字指扇領辻に、北側を大字上野に隣接する。地区の中央部には、大字平方領領家の小さな飛地が二カ所ある。地区の南部はさいたま市側に細長く突き出し、大字平方領領家の飛地や大字指扇領辻との境界が複雑に錯綜する。地区の南端のさいたま市との境界付近で普通河川の指扇辻川が流れる[10][11]。 地区内は全域が市街化調整区域[12]で農地が多く残り、屋敷森のある農家も数多く所在する、隣接する大字上野や大字平方領領家と同様、農地的土地利用の比重が高い地区である[13]。農地は主に畑地である。また、地区の東から南にかけての小河川の指扇辻川(滝沼川の支流)が開析する低地沿い(谷戸)はさいたま市との市境が通り、水田として利用されていた[9]が近年は営農環境の悪化により荒地化した一方で、台地上の水田(陸田化)が増加している[14]。地内に上野本郷前遺跡(県遺跡番号:14-306[12])などの集落跡があり、土器片が発掘されている。 さいたま市西区の上野本郷は、上尾市との境界付近に地番568-3が存在するのみである[15]。 もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡指扇領に属する上野本郷村であった[9][16]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では130石(田73石余、畑56石余、山銭として永411貫文)[17]、『元禄郷帳』136および『天保郷帳』によると136石余であった。化政期の戸数は22軒で、村の規模は東西3町、南北10町余であった。地名は台地面上にある本郷を意味するものと云われている[9][14]。 1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米77.2石、大麦104.6石、小麦15.9石、大豆3.5石、栗20.3石、稗19石、蕎麦6.6石、菜種3.5石、茶3貫、甘藷720貫、里芋2400貫[注釈 2]であった[18]。 1880年代は農地の割合が71.4 %(田19.5 %、畑51.9 %)で最も広く、山林の割合は15.6 %で、宅地が7.7 %で、原野は1.2 %であった[14][注釈 3]。1950年代でも桑畑が普通畑に置き換わり、宅地が若干増加したほかは大きな変化は見られない。 初めは幕府領、1623年(元和9年)より知行は旗本山内氏[9]。1689年(元禄2年)より山内氏が土佐藩に移封されたため上知され[14]再び幕府領となるが、1696年(元禄9年)より知行は旗本春日氏(従五位下春日河内守貞顯)[19]となり、1701年(元禄14年)より知行は一族の春日氏となる[9]。
地理
歴史