■上落合
町丁
アルーサ北与野
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}■上落合上落合の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度53分23.21秒 東経139度37分31.46秒 / 北緯35.8897806度 東経139.6254056度 / 35.8897806; 139.6254056
国 日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
区中央区
地域与野地区
人口(2017年(平成29年)9月1日現在)[1]
? 合計19,798人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号338-0001[2]
市外局番048[3]
ナンバープレート大宮
上落合(かみおちあい)は、埼玉県さいたま市中央区の町名。現行行政地名は上落合一丁目から上落合九丁目および大字上落合。郵便番号は338-0001[2]。 さいたま市中央区(旧与野市)の北部に位置する。住居表示が行われている地域は1丁目?9丁目に分かれており、最も南が1丁目、北が9丁目である。このほか、新都心の東側の鉄道用地内(一部はさいたま新都心駅にかかる)に、飛地状に大字上落合がある。南側は区役所のある下落合、東側には大宮区吉敷町・錦町、西側は本町東、北側は大宮区桜木町に接しており、一部はJR東日本大宮駅の徒歩圏内である。また、南東の一部は浦和区上木崎に接している。また、上落合1丁目?9丁目と大字上落合の間に、新都心がある。地区の中央を国道17号(中山道・与野大宮道路)が南北に貫き、地下に首都高速道路も通る。鉄道はJR東北新幹線と埼京線が通過しており、国道17号との交点に北与野駅が所在する。 元は江戸期より存在した足立郡与野領に属する上落合村であった[4]。『新編武蔵風土記稿』では民家28戸[5]。 2022年(令和4年)3月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。埼玉県内では吉見町(約1万8千人)よりも人口が多い。
地理
歴史
1591年(天正19年)より知行は旗本粟生氏、1604年(慶長9年)より大宮氷川神社領となるが、後に大宮氷川神社領と旗本朝比奈氏および牧野氏の相給となる[4]。
幕末時点では足立郡上落合村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、旗本朝比奈鐘之助の知行であった。氷川社の社領も存在した[6]。
1869年(明治2年)12月2日 - この日までに旗本領が上知され[7]、浦和県の管轄となる(府藩県三治制も参照)。
1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、北足立郡与野町・小村田村・下落合村・上落合村・中里村・大戸村・鈴谷村・上峰村・八王子村・円阿弥村が合併して与野町となる。当地区は与野町の大字上落合となる[4]。
1926年(大正15年)12月 - 上落合分教場(現さいたま市立上落合小学校)が開設される。
1934年(昭和9年) - 赤十字療院(旧、現さいたま赤十字病院)が落成する[4]。
1938年(昭和13年) - 与野上落合郵便局が開局する[4]。
1940年(昭和15年) - 三橋村へ一部を編入する[4]。
1958年(昭和33年)7月15日 - 与野町が市制施行し[8]、与野市の大字上落合となる。
1985年(昭和60年)9月30日 - 埼京線開通に伴い北与野駅が開業。周辺再開発が開始。
1992年(平成4年)2月1日・1997年(平成9年) - 大字上落合から上落合一丁目?九丁目が成立。これにより大字上落合は消滅する。
2001年(平成13年)5月1日 - 与野市が浦和市、大宮市と合併しさいたま市となり、さいたま市の町名となる。
2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行しさいたま市中央区の町名となる。
世帯数と人口
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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