上竜尾町
[Wikipedia|▼Menu]
日本 > 鹿児島県 > 鹿児島市 > 上竜尾町

上竜尾町
?  町丁  ?
南洲神社
上竜尾町
座標: 北緯31度36分24秒 東経130度33分35.2秒 / 北緯31.60667度 東経130.559778度 / 31.60667; 130.559778
日本
都道府県鹿児島県
市町村鹿児島市
地域中央地域
地区上町地区
人口 (2010年(平成22年)2月末現在)
 - 計1,346人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号892-0851

上竜尾町(かみたつおちょう Kamitatsuo-Ch?)は、鹿児島県鹿児島市町名郵便番号は892-0851。人口は1,346人、世帯数は678世帯(2010年2月末現在)[1]。上竜尾町の全域で住居表示を実施している。
目次

1 地理

2 歴史

2.1 町域の変遷


3 施設

4 小・中学校の学区

5 交通

5.1 道路

5.2 鉄道


6 脚注

7 参考文献

8 関連項目

地理

鹿児島市の中部に位置している。町域の北方には坂元町、南方から西方にかけては下竜尾町、西方には西坂元町、東方には大竜町池之上町がそれぞれ接している。

町域の西端に鹿児島県道25号鹿児島蒲生線が通っている。町域の南端にはかつて浄光明寺として知られた丘があり[2]、現在の南洲公園にあたる。南洲公園には西郷隆盛に関する施設が多くあり、敷地内にある南洲神社は西郷隆盛及び桐野利秋等の西南戦争の戦没者を祀る神社であり、1880年明治13年)に参拝所として設置され、1922年大正11年)に南洲神社となった[3]

西郷南洲顕彰館は1977年昭和52年)の西郷隆盛百年祭の記念事業により建設されたもので、西郷隆盛の生涯に関する歴史資料が展示されている[4]

南洲公園内の台地付近では縄文期の遺跡が発見されており、縄文中期には人が居住していたとされている[5]
歴史

上竜尾町という地名は江戸期より見え、鹿児島城下のうちであり、大竜寺馬場には延享元年に再興された今和泉島津家の屋敷が所在していた(今和泉島津家の屋敷跡付近は1967年に大竜町に分割)[6]

1889年(明治22年)に市制が施行されたのに伴い、それまでの上竜尾町は鹿児島市の町名「上竜尾町」となった。

1967年(昭和42年)には上竜尾町の一部が分割され大竜町が成立した[7]。また、同時に上竜尾町の一部で住居表示が実施され、翌年の1968年昭和43年)に全域で住居表示が完了した[8]
町域の変遷

実施後実施年実施前
大竜町
1967年昭和42年)上竜尾町の一部

施設 南洲墓地
公共


南洲公園

西郷南洲顕彰館

南洲神社

浄光明寺


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:35 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef