上福元町
町丁
谷山インターチェンジ
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度31分52秒 東経130度30分25秒 / 北緯31.531167度 東経130.506861度 / 31.531167; 130.506861座標: 北緯31度31分52秒 東経130度30分25秒 / 北緯31.531167度 東経130.506861度 / 31.531167; 130.506861
国 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域谷山地域
地区谷山北部地区
人口情報(2020年(令和2年)4月1日現在)
人口7,420 人
世帯数3,121 世帯
郵便番号891-0116
市外局番099
ナンバープレート鹿児島
運輸局住所コード[2]46500-0812
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上福元町(かみふくもとちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市の町[4]。旧薩摩国谿山郡谷山郷上福元村、谿山郡谷山村大字上福元、鹿児島郡谷山町大字上福元、谷山市上福元町。郵便番号は891-0116[5]。人口は7,420人、世帯数は3,121世帯(2020年4月1日現在)[6]。 鹿児島市南部(谷山地区)、永田川下流域に位置している。町域の北方には中山町、東谷山、清和、南方には西谷山、谷山中央東方には東谷山、南方から西方にかけて下福元町がそれぞれ接している。 交通は南部をほぼ東西に鹿児島県道20号鹿児島加世田線が通っており、中央部付近を指宿スカイラインが南北に通る。町域内には谷山インターチェンジがあり、指宿方面へ接続する指宿スカイラインと国道225号方面を結ぶ鹿児島県道219号玉取迫鹿児島港線が分岐している。 上福元という地名は江戸時代より見え、薩摩国谿山郡谷山郷(外城)のうちであった。また、上福元村は下福元村と共に「福本村」と称していた[4][7]。 地内には谷山郷を管轄する地頭仮屋(現在の鹿児島市立谷山小学校所在地、谷山中央)が設置されており、その周辺には麓集落が形成されていた[7][4][8]。村高は「旧高旧領取調帳」では3,191石余であった[7][4]。山川路沿線には町場が広がっており、その町場は「松崎町」と称され[4]、会所が設置されていた[9]。明治時代になり上福元村には戸長役場が設置され、谷山郷の8村を管轄した[10]。 1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、上福元村、下福元村、和田村、塩屋村、松崎町、平川村、中村、五ケ別府村の区域より谿山郡谷山村が成立した。それまでの上福元村の区域は谷山村の大字「上福元」となった[4]。また、上福元村には谷山村役場が設置された[8]。1897年(明治30年)4月1日に「 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律 1924年(大正13年)には谷山村が町制施行し谷山町となった[11]。1958年(昭和33年)に谷山町が市制施行し谷山市となり[12]、それまでの大字上福元は谷山市の町「上福元町」となった[4]。 1967年(昭和42年)には谷山市と鹿児島市が対等合併し、鹿児島市となった[13]。それに伴って鹿児島市の町となった[4]。 1976年(昭和51年)11月30日に魚見ヶ原団地の区域にあたる上福元町と中山町の各一部より魚見町が設置された[14][15]。1979年(昭和54年)2月26日に笹貫・谷山塩屋地区の区域において住居表示が実施されることとなった[16][17]。それに伴い町域の再編が実施され、谷山塩屋町及び上福元町の各一部より東谷山一丁目、上福元町の一部より小松原一丁目が設置された[18][17]。
地理
河川
永田川
歴史
上福元の成立
町村制施行から鹿児島市編入まで
住居表示実施に伴う町の分離
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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