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出典検索?: "上祐史浩"
オウム真理教徒上祐 史浩
誕生 (1962-12-17) 1962年12月17日(61歳)
福岡県三潴郡城島町
(現・久留米市)
出身校早稲田大学大学院理工学研究科修士課程
ホーリーネームマイトレーヤ
ステージ正大師
教団での役職外報部長
緊急対策本部長
アーレフ代表
入信1986年8月(2007年アーレフを脱会)
関係した事件亀戸異臭事件
国土利用計画法違反事件
判決懲役3年
現在の活動ひかりの輪代表(2007年アーレフを脱会)
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上祐 史浩(じょうゆう ふみひろ、1962年〈昭和37年〉12月17日 - )は、日本の宗教思想家で心理学研究家、ひかりの輪代表。
アーレフ(現Aleph・旧オウム真理教)元代表で同宗教法人の責任役員であった[1]。2007年3月にアーレフを脱会、2007年5月にひかりの輪を設立。
オウム信者としての名前(ホーリーネーム)は、マイトレーヤであった。 福岡県三潴郡城島町(現・久留米市)にて九州大学出身で福岡銀行に勤める父と、福岡学芸大学(現:福岡教育大学)出身で教員の母の間に生まれる。父親は最初弁護士を目指していたが、かなわずに銀行員となった[2][3]。同い年で同じ久留米市の生まれでは松田聖子[2]や藤井フミヤなどがいる。福岡には4歳まで生活し、父親が東京勤務となったため一家で上京[2]、その後、父親が東京のライターを売る貿易会社に転職するが、父親の女性問題によって両親が別居し、母子2人暮らしとなる(両親が正式に離婚したのは上祐が出家した頃[4])。父親は離婚後も養育費はきちんと払っていたことを上祐は後に確認している[2]。父親は、その後脱サラしライター分野で起業[2]。小学校から高校まで成績は良かった。なお、「上祐」という苗字は、福岡県を中心に20名ほどいるとしている[2]。 早稲田大学高等学院(早大学院)卒。大学時代、英語会のサークルに所属し、英語ディベート活動の大会で入賞するなど活躍した。修士課程の2年目の1986年、オウム真理教の前身団体で当時ヨガ団体だった「オウム神仙の会」に出会い、8月に入会する[3]。きっかけは『月刊ムー』(学研)での麻原の紹介記事であった。当時、超能力や健康、神秘的な事柄に関心があったが、ヨガには興味はなかった。入会後、泊りがけで参加した丹沢セミナーにおいて、1日10時間にも及ぶ厳しい行法やヨガの呼吸法など、ストイックで過激な修行に強い印象を受けた。その後、数回修行を繰返したところで神秘体験を経験。瞑想しながら体の感覚がなくなるような不思議な感覚や不思議な色や光を見る。最終的にはクンダリニーまで体験。このことで、麻原をヨガの正しい指導者として認識するに至る[2]。 同年4月に特殊法人宇宙開発事業団[注釈 1]に入る(現JAXA)。
概要