上矢部_(相模原市)
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この項目では、神奈川県相模原市中央区の地名について説明しています。神奈川県横浜市戸塚区の地名については「上矢部町」をご覧ください。
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上矢部
町丁大字
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度34分59秒 東経139度23分45秒 / 北緯35.583度 東経139.3958度 / 35.583; 139.3958
日本
都道府県 神奈川
市町村 相模原市
行政区中央区
地区大野北地区

人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在[1]
 人口6,149 人
 世帯数2,656 世帯

面積[2]
 1.128450643 km²
人口密度5449.06 人/km²
郵便番号252-0201[3]
市外局番042(相模原MA[4]
ナンバープレート相模
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上矢部(かみやべ)は、神奈川県相模原市中央区の地名である。境川に沿った上矢部一丁目?上矢部五丁目と、在日米陸軍相模総合補給廠の一部で住居表示未実施の大字上矢部とからなる。
地理

北を流れる境川をはさんで東京都町田市と隣接する。元々は激しく蛇行する境川の流路を基に都県境が設定されていたが、1970年代以降に進められた河川改修で境川の拡幅と同時に流路の直線化が行われたため、現在の流路と都県境が一致せず、相模原市と町田市相互に「川向こうの飛び地」を多く抱えることとなった。これを解消するために両市間では現流路に合わせた境界変更の協議が進められており、3?4年おきに境界変更を行っている。

境川の南岸に沿って段丘崖がのび、その南側は相模原台地が広がる。古くからの集落は段丘崖付近に分布し、境川沿いの低地には水田も開かれていた。台地上を流れる河川はなく、この付近ではヤト(谷戸)の発達も見られないため概ね平坦である。台地上の区域のうちの大部分は、隣接する大字矢部新田および小山にまたがって在日米陸軍相模総合補給廠が占めている。境川沿いの旧集落周辺はJR東日本横浜線矢部駅淵野辺駅のいずれからも遠いために市街化の波及はやや遅れたが、1990年代までには相模総合補給廠北側の台地上も含めて農地のほとんどが宅地に変わっている。
河川

境川

地価

住宅地の地価は、2023年令和5年)1月1日公示地価によれば、上矢部5-9-1の地点で12万2000円/m2となっている[5]
歴史

矢部という地名は元来、近隣の相原小山鶴間などと同様に境川の両岸にまたがって広がる地名であった。平安時代末期から鎌倉時代にかけてこの地域を拠点に活動した武士団に矢部氏を名乗るものがあり、上矢部五丁目には矢部氏の居館跡(矢部城)が残されている。村落名としては戦国時代に現れるとされ、後北条氏の『小田原衆所領役帳』には「相模国東郡」(高座郡を参照)内の地名として「矢部」が見られる。一方、武蔵国多摩郡の「小山田村」の一部とする史料もある。1593年文禄3年)の検地の際に境川が武蔵・相摸両国の国界として確定し、右岸(西側)側が相模国高座郡、左岸(東岸)側が武蔵国多摩郡に属するものとされて、相模国分を上矢部村、武蔵国分を下矢部村と呼ぶようになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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