上田電灯
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上田電灯株式会社種類株式会社
本社所在地 長野県小県郡上田町1325番地3[1]
設立1900年(明治33年)10月14日[2]
解散1911年(明治44年)11月22日[3]
信濃電気と合併し解散)
業種電気
事業内容電気供給事業
代表者小野栄左衛門(社長)
公称資本金20万円
払込資本金16万2500円
株式数旧株:3000株(額面50円払込済)
新株:1000株(12円50銭払込)
総資産23万8990円(未払込資本金除く)
収入1万3971円
支出9074円
純利益4879円
配当率無配当
決算期6月末・12月末(年2回)
特記事項:資本金以下は1911年6月期決算時点[4]
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上田電灯株式会社(うえだでんとう かぶしきがいしゃ、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:上田電燈株式會社󠄁)は、明治時代長野県上田市(当時は小県郡上田町)に存在した電力会社である。1900年(明治33年)に設立され、1902年(明治35年)に県内5番目の電気事業者として開業したが、事業を広域化できないまま1911年(明治44年)に後発の信濃電気へと吸収された。
沿革

1898年(明治31年)5月、長野県で最初の電気事業者として長野市長野電灯が開業した[5]。これ以降、長野県では1900年(明治33年)にかけて松本電灯東筑摩郡松本町)・飯田電灯(下伊那郡飯田町)・諏訪電気諏訪郡上諏訪町)の順で新たに電気事業が開業していく[5]

そうした中、東信地方の町小県郡上田町(1919年市制施行し上田市に)では、町の有志が協議し水力発電を電源として町に電気を供給する上田電灯株式会社の起業を決定[6]。設立手続きに時間を要したものの[7]、1900年10月14日資本金5万円で上田電灯を設立した[2]。設立時の取締役は南川治三郎(専務。紙商「醋屋」[8])・荒井甚三郎(紙商「和泉屋」[9])・中村友太郎・中澤勝治郎(活版所経営[8])・中山禎次郎という顔ぶれであった[2]北佐久郡小沼村から参加の中山を除き取締役は上田町の人物である[2]。こうして会社発足に至ったものの逓信省への電気事業許可申請の手続きにも不備があり、事業許可は翌1901年(明治34年)5月までずれ込んだ[7]

役員には異動が多く、開業までの間でも1901年6月に中村友之助に代わり埴科郡戸倉村の坂井量之助(地主、戸倉上山田温泉の開祖[10])が取締役に就任し[11]、同年8月には長野市の森田斐雄(旧上田藩士族・元長野県会議長[12])と上田町の柳澤富八(醸造業「酒富」[8])が取締役に選出されて[13]、森田が社長、南川が常務となっている[14]。発電所その他一切の工事は1902年(明治35年)7月4日に完了し、12日に上田町内のうち海野町・横町・原町で試験点灯が行われた[15]。試験成績は良好で、多くの見物人が集まったという[15]。開業は1か月後の8月11日のことで、諏訪電気に続く長野県下で5番目の電気事業者となった[5]。開業初期、同年12月末時点の電灯点火数は1018灯であった[6]。当初は上田監獄や郵便局停車場などの施設を大口需要家とした[15]

発電所は市街地から6キロメートルほど北に離れた千曲川(信濃川)支流の神川に設置された[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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