その他の同名の人物については「上田仁 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
上田仁
生誕 (1904-12-04) 1904年12月4日
出身地 日本
北海道大野村
死没 (1966-12-26) 1966年12月26日(62歳没)
学歴東洋音楽学校
ジャンルクラシック音楽
職業指揮者、ファゴット奏者
担当楽器ファゴット
共同作業者東京交響楽団
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽
上田 仁(うえだ まさし、1904年12月4日 - 1966年12月26日)は、日本の指揮者・ファゴット奏者。 1904年、北海道大野村西上町に生れる。1922年、東洋音楽学校ピアノ科を卒業し、1925年、山田耕筰が主宰する日本交響楽協会に入りファゴットを学ぶ。1926年から1943年まで日本交響楽団のファゴット奏者を務めたほか、日本コロムビアや東宝映画の演奏にも活躍した。 のちに指揮法をヨーゼフ・ローゼンシュトックに師事し、1945年に東宝交響楽団の指揮者に就任する。1946年5月14日に日比谷公会堂で行われた東宝交響楽団の旗掲げ演奏会を指揮し、指揮者として楽壇に登場した。近衛秀麿とともに同団の常任指揮者を務め、1951年に東京交響楽団に改組されたのちも、1964年まで引き続き常任指揮者を務めた。
略歴
1966年12月26日、大阪でピアノ指導中に急逝した。
現在、東京交響楽団より永久名誉指揮者の称号を贈られ、生前の功績が顕彰されている。
主な映画
『ムクの木の話』(東宝教育映画部,1947年):指揮
『釈迦』(大映京都,1961年):指揮
脚注^ 交響曲では、プロコフィエフの第5番?第7番、ショスタコーヴィチの第7番から第12番等を初演した(上田仁/東京交響楽団『ショスタコーヴィチ交響曲第12番』解説書より ユニバーサルミュージック TOGE-11115 2013年)。
^ 上田がアルゼンチンで指揮棒を振っていた3か月間は、ウィーンからエドゥアルト・シュトラウス2世がやって来て東京交響楽団を指揮していた。
関連項目
ヨーゼフ・ローゼンシュトック