上田交通
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上田交通株式会社
Ueda Kotsu Co., Ltd.

種類株式会社
略称上電
本社所在地 日本
386-8577
長野県上田市天神1丁目2番1号
上田駅前デルトラウムビル2階
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度23分50.2秒 東経138度14分56.8秒 / 北緯36.397278度 東経138.249111度 / 36.397278; 138.249111座標: 北緯36度23分50.2秒 東経138度14分56.8秒 / 北緯36.397278度 東経138.249111度 / 36.397278; 138.249111
設立1916年大正5年)9月17日
業種不動産業
法人番号8100001009568
事業内容不動産販売・賃貸業、宿泊業、自動車整備業 他
代表者代表取締役社長 山本 修
資本金1億6,000万円
(2019年3月31日現在)[1]
発行済株式総数32万株[1]
純利益△5,721万円(2019年3月期)[1]
純資産7億8,747万6千円
(2019年3月31日現在)[1]
総資産21億7,523万3千円
(2019年3月31日現在)[1]
従業員数75名
決算期3月31日
主要株主東急株式会社 48.6%
(直接所有分)[1]
主要子会社上田電鉄株式会社
株式会社上田東急REIホテル
外部リンク ⇒http://www.ukg.co.jp/
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上田交通株式会社(うえだこうつう、: Ueda Kotsu Co., Ltd.)は、長野県上田市で不動産事業などを運営する企業である。

本項では、上田交通グループの各会社についても取り扱う。
概要

本社は長野県上田市天神1丁目2-1にある。略名は、旧名の上田電鉄 (初代)・上田丸子電鉄に由来する上電(じょうでん)である。

東急の系列会社で、社紋も東急とは文字が異なるだけである(上田電鉄の分社後の社紋は五七の桐の中央の「七」の部分にかつての上田丸子電鉄社紋のうち円形の「上田」部分〔初代上田電鉄の社紋と同様〕をあしらったもので、全体としては上田丸子電鉄時代の襟章をもとにしたデザインとなっている。上田交通に社名変更後、東急グループ統一CIが実施されるまでは、中央の「子」をあしらった部分を「交」の漢字に置き換えたものを使用していた)。

以前は鉄道やバスも直営していた。しかしバス事業は1999年上電バスとして分社化し、その後2009年上田バスとしてグループ離脱。かつては西丸子線や真田傍陽線など最盛期で4路線48.0kmの路線網を擁していた鉄道事業も、別所線11.6kmだけの運営となった上、2005年上田電鉄 (2代)として分社化した。

なお、東京急行電鉄創業者である五島慶太の出身地は小県郡青木村で、青木線の沿線である。
歴史
丸子鉄道丸子鉄道

1916年大正5年)9月17日 丸子鉄道株式会社設立[2]。上田交通はこの年を創立年としている。

1918年(大正7年)11月21日 丸子鉄道、大屋 - 丸子町間を開業。

1925年(大正14年)8月1日 丸子鉄道、上田東 - 大屋間を開通。

1932年(昭和7年)1月1日 丸子鉄道株式会社、譲受により乗合自動車業務兼業開始。

1940年(昭和15年) 丸子鉄道株式会社、丸子自動車株式会社に乗合自動車路線を譲渡(※丸子自動車株式会社は3年後千曲自動車株式会社に吸収合併される)。

上田温泉軌道上田温泉電軌

1920年(大正9年)

1月5日 株式会社上田温泉軌道設立。

11月 株式会社上田温泉電軌に社名変更。


1921年(大正10年)6月17日 温電青木線(三好町 - 青木間)、川西線(上田原 - 信濃別所)間が開業。

1924年(大正13年)8月 千曲川鉄橋が完成し、温電青木線が川西線を介して上田に乗り入れ。

1926年(大正15年)8月12日 温電依田窪線(下之郷 - 西丸子間)が開業。

1927年昭和2年)11月20日 温電北東線上田 - 伊勢山間が開業。

1928年(昭和3年)

1月10日 伊勢山 - 本原間開通。

1月20日 株式会社上田温泉電軌、乗合・貸切自動車業務兼業開始。

4月2日 本原 - 傍陽間開通。

5月1日 本原 - 真田間開通し温電北東線全通。


1938年(昭和13年)7月25日 青木線が廃止。

1939年(昭和14年)

3月19日 川西線・依田窪線を軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更し、それぞれ別所線、西丸子線に改称。北東線を菅平鹿沢線に改称。

9月1日 株式会社上田温泉電軌が株式会社上田電鉄に社名変更。


1943年(昭和18年)9月 株式会社上田電鉄、千曲自動車株式会社に乗合自動車路線を譲渡し、貸切自動車業務を廃止。

上田丸子電鉄発足後上田丸子電鉄

1943年(昭和18年)10月21日 株式会社上田電鉄と丸子鉄道株式会社が合併し上田丸子電鉄株式会社に。上田東 - 丸子町間を丸子線とする。

1952年(昭和27年)3月20日 乗合旅客自動車運送事業を開始(※合併後初)。以降バス路線を拡充。

1956年(昭和31年)4月 この月からハイヤー業を拡大、営業所を設置。

1958年(昭和33年)11月4日 東京急行電鉄の系列会社となる。

1960年(昭和35年)4月1日 菅平鹿沢線を真田傍陽線に改称。

1961年(昭和36年)6月29日 西丸子線が災害のため休止に。

1963年(昭和38年)11月1日 西丸子線が廃止。

1969年(昭和44年)

4月20日 丸子線が廃止。

5月31日 上田交通株式会社に社名変更。


1972年(昭和47年)2月20日 真田傍陽線が廃止。

1973年(昭和48年)10月7日 真田傍陽線電鉄上田駅跡地にホテル上田東急イン開業。

1999年平成11年)8月1日 バス部門を上電観光バス株式会社に譲渡。

2000年(平成12年) 上電観光バス株式会社が上電バス株式会社と社名変更。

2005年(平成17年)

6月22日 鉄道部門を上田電鉄株式会社として分社、子会社化する方針を発表。

10月3日 鉄道部門が上田電鉄株式会社として独立。


2009年(平成21年)10月1日 上電バス上田電鉄タクシーの株式をジェイ・ウィル・パートナーズに譲渡、2社は東急グループから離脱。

2015年(平成27年)11月2日 ハーレスキーリゾート日本スキー場開発に譲渡、グループ離脱。

事業

当社では不動産業を主力とし、それ以外にも駐車場業や広告業などを営んでいる。

宿泊業では、子会社の上田東急REIホテルとは別に、直営で長期滞在型ホテルホテル上田ステイ[注釈 1]を運営していた。こちらは1997年(平成9年)に上田東急インが上田駅温泉口に移転した後、同年旧上田東急インの上田東急ビルを改装、建物名称を「上田ステイビル」と改め、1998年(平成10年)3月に長期滞在型ホテルとして営業を開始したものである。上田ステイへの変更の際、東急イン時代にロビーや式場・レストランなどであった場所を大幅に改装し、上田交通・上田電鉄・上田電鉄タクシー(現在の上田タクシー)・ハーレスキーリゾート(現在は移転)の上田交通グループ各社の本社オフィスに転用した。


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