この項目では、東京都板橋区にある東武東上本線の駅について説明しています。かつて神奈川県足柄下郡大窪村(現・小田原市)にあった箱根登山電気鉄道の駅については「箱根登山鉄道小田原市内線#停留所一覧」をご覧ください。
上板橋駅
北口(2012年2月4日)
かみいたばし
Kami-itabashi
◄TJ 06 ときわ台 (1.3 km) (1.4 km) 東武練馬 TJ 08►
所在地東京都板橋区上板橋二丁目36-7.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度45分48.6秒 東経139度40分35.1秒 / 北緯35.763500度 東経139.676417度 / 35.763500; 139.676417
上板橋駅(かみいたばしえき)は、東京都板橋区上板橋二丁目にある、東武鉄道東上本線の駅である。駅番号はTJ 07。目次 当駅は、かつて駐留アメリカ軍グラントハイツ(現・光が丘)への輸送を行った東武啓志線の起点駅である。また、未成に終わった伊勢崎線西新井駅との間に計画された東武西板線(ただし、西板線の路線群は東上線系ではなく本線系に属する計画であった)の終点予定駅でもあった。東武大師線はその名残りである。 改札口は1か所で、出入口は北口と南口がある。改札内に両ホームと改札階を連絡するエスカレーターとエレベーター、および車椅子・オストメイト対応のものを併設したトイレが設置されている。改札外のエレベータは両出口に、エスカレーターは北口側にのみ設置されている。エレベーターと多機能トイレを新設するにあたり、下りホームにあるトイレを成増寄りに移設した。そしてこれらが完成すると同時に改札階とホーム、北口と改札階を連絡する階段(いずれも成増寄りのもの)を新たに建設した。 改札前には東武トップツアーズがあるほか、2012年より改札階の大幅な改装を行い、新たにファミリーマート[1]・QBハウスが出店した。 東武池袋駅管区傘下の駅長配置駅で、ときわ台駅・東武練馬駅を管理する。 番線路線方向行先 2020年(令和2年)度の1日平均乗降人員は40,240人である[2]。 近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は下表の通りである。年間徐々に増えている。 年度別1日平均乗降・乗車人員[3][4]年度1日平均
1 歴史
1.1 年表
2 駅構造
2.1 のりば
3 利用状況
4 駅周辺
4.1 北口
4.2 南口
4.3 路線バス
5 駅名の由来
6 隣の駅
7 脚注
8 出典
9 関連項目
10 外部リンク
歴史
年表
1914年(大正3年)6月17日:開業。
1943年(昭和18年):陸軍第一造兵廠倉庫(現在の陸上自衛隊練馬駐屯地)への専用線として、啓志線が敷設される。
1946年(昭和21年)3月25日:啓志線が全線開通。(上板橋?グランドハイツ?現光が丘?)
1947年(昭和22年)12月6日:啓志線の旅客営業開始。
1948年(昭和23年)2月26日:啓志線の旅客営業廃止。
1959年(昭和34年)7月22日:啓志線廃止。
駅構造
のりば
1・2 東上線下り成増・志木・川越方面
3・4上り大山・池袋方面
偶数番線(2・4番線)が主本線、奇数番線(1・3番線)が副本線である。
平日ダイヤ、土曜・休日ダイヤのいずれも上り1本のみ当駅始発の池袋行普通が設定されている。下りの当駅止まりの電車は設定されていない。
成増寄りには当駅始発列車用の引き上げ線がある。長らく有効長は8両編成分であったが、2008年6月14日に実施されたダイヤ改正で東上線池袋駅発着列車が10両編成に統一されたため、10両編成分に延長された。この引き上げ線には1 - 3番線から出入りできるが、4番線からは出入りできない。事故などで長時間の運休が見込まれる場合にはこの引き上げ線を利用して折り返し運転を行えるようになっている。
2008年6月のダイヤ改正以降、朝ラッシュ時の上り普通電車は当駅と中板橋駅で計2回速達列車の通過待ちを行うようになった。このため、朝ラッシュ時の上り電車はすべて待避線である3番線からの発車となり、下り電車も約半数が1番線から発車する。また、2013年3月のダイヤ改正以後、日中時間帯は下りの1時間2本を除く全列車が当駅で通過待ちを行うようになった。
利用状況
乗降人員[5]1日平均
乗車人員[6]出典
1978年(昭和53年)64,000
Size:32 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef