上杉隆
[Wikipedia|▼Menu]

上杉 隆

生誕 (1968-05-03) 1968年5月3日(55歳)
日本 福岡県
教育都留文科大学文学部英文科
職業政治活動家・メディアアナリスト・経営者・コメンテーター
肩書き株式会社NO BORDER NEWS TOKYO社主
公益社団法人自由報道協会 創設者
一般社団法人日本ゴルフ改革会議 事務局長
特定非営利活動法人日本・ロシア協会 事業部部長
公益社団法人日本外国特派員協会会員
公式サイトhttps://www.uesugitakashi.com/
テンプレートを表示

上杉 隆(うえすぎ たかし、1968年昭和43年〉5月3日 - )は、日本ジャーナリスト実業家政治活動家作家僧侶[1]。 株式会社NO BORDER NEWS TOKYO社主。

日本ゴルフ改革会議事務局長[2]。特定非営利活動法人日本・ロシア協会事業部部長。公益社団法人自由報道協会創設者。元NHKから国民を守る党幹事長国会対策委員長。AIメディアRNOBORDER、AIテレビRニューズオプエドRなども創設。
来歴
生い立ち

福岡県柳川市生まれ、東京都新宿区育ち[1]。新宿区立戸塚第一中学校卒業(現・西早稲田中学校)、東京都立広尾高等学校卒業、都留文科大学文学部英文科卒業。

1993年4月からNHKで勤務したと主張しているが、NHKでの勤務実態は公表されていない。

1994年9月から衆議院議員鳩山邦夫事務所に入所。後に公設秘書も務め、鳩山事務所には計5年間勤務する。
ジャーナリスト・作家として

1999年7月から2001年までニューヨーク・タイムズ(正しくは記者ではなくリサーチャー)[3]。1999年、石原慎太郎東京都知事、高井英樹特別秘書とともに都庁記者会見を開放。2000年、デビュー作『石原慎太郎 5人の参謀』(小学館)を刊行。

2001年、フリーランス・ジャーナリストとして独立。小泉純一郎首相、飯島勲秘書官とともに内閣記者会の加盟社を拡大。2002年、一連の外務省を取材、田中真紀子取材で「雑誌ジャーナリズム賞企画賞」を受賞。「ジャーナリズム五原則」を提言開始。オプエドRの概念を日本に初めてもたらす。2003年、北朝鮮入国リポート、イラク戦争取材の途上で事故、パリなどで約一年間入院。2004年、『エビジョンイル』(文藝春秋)を造語。流行語大賞のノミネートを受けるも即日取り消された。2005年、メディア取材開始。「官報複合体」を造語。2006年キューバを訪問しフィデル・カストロの弟のラウル・カストロなど現職大臣や政府高官に取材[4]

2009年、3月24日、民主党小沢一郎代表から記者クラブ開放の言質を取り、記者会見オープン化を前進させる[5]。8月、松野頼久次期内閣官房副長官らと新しい記者会見のスキームを創設。9月の鳩山由紀夫内閣発足後、外国人特派記者等の一部の記者は新たに会見に参加したが、ネットメディアは事実上締め出されていた点を公約違反であると指摘[6]。フリーランスやネット、海外メディアなどにも開くよう大臣らと直接交渉し、金融庁、外務省、内閣府、総務省、文科省、法務省、環境省などでオープン化を実現させる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:42 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef