上杉昇
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バスケットボール選手の「上杉翔」とは別人です。
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出典検索?: "上杉昇" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2022年1月)

上杉昇
別名SHOW WESUGI、Show
生誕 (1972-05-24) 1972年5月24日(51歳)
日本埼玉県川越市
出身地 日本神奈川県横須賀市
ジャンル.mw-parser-output .hlist ul,.mw-parser-output .hlist ol{padding-left:0}.mw-parser-output .hlist li,.mw-parser-output .hlist dd,.mw-parser-output .hlist dt{margin-right:0;display:inline-block;white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dt:after,.mw-parser-output .hlist dd:after,.mw-parser-output .hlist li:after{white-space:normal}.mw-parser-output .hlist li:after,.mw-parser-output .hlist dd:after{content:" ・\a0 ";font-weight:bold}.mw-parser-output .hlist dt:after{content:": "}.mw-parser-output .hlist-pipe dd:after,.mw-parser-output .hlist-pipe li:after{content:" |\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-hyphen dd:after,.mw-parser-output .hlist-hyphen li:after{content:" -\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-comma dd:after,.mw-parser-output .hlist-comma li:after{content:"、";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-slash dd:after,.mw-parser-output .hlist-slash li:after{content:" /\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li:last-child:after{content:none}.mw-parser-output .hlist dd dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li li:first-child:before{content:" (";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li li:last-child:after{content:")\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist ol{counter-reset:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li{counter-increment:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li:before{content:" "counter(listitem)" ";white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dd ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li ol>li:first-child:before{content:" ("counter(listitem)" "}

J-POP

ロック

オルタナティブ・ロック

グランジ

職業

シンガーソングライター

作詞家

音楽プロデューサー

担当楽器

ボーカル

コーラス

活動期間1991年 -
レーベルpojjo record
事務所office pojjo
共同作業者猫騙
GUNS N' ROSESNIRVANA

pojjo record
YouTube
チャンネル

pojjorecord

活動期間2010年 -
ジャンル音楽
登録者数約1.14万人
総再生回数約510万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年6月21日時点。
テンプレートを表示

上杉 昇(うえすぎ しょう、英語: Show Wesugi、1972年5月24日 - )は、日本ミュージシャンボーカリスト、シンガーソングライター、作詞家。ロックバンド・猫騙のボーカルを務め、並行してソロ活動を行う[1]WANDSの初代ボーカルとして知られる[2]

神奈川県横須賀市出身。血液型はA型。身長172センチメートル。
略歴

埼玉県川越市生まれ。1983年(11歳)、神奈川県横須賀市に移住。

中学生の頃、ガンズ・アンド・ローゼズのビデオを観て音楽の道に進むことを決意。高校生の時にバンドを結成し、ボーカルとして町田市横浜市などでライヴ活動をする。このバンドを続けていきたかったが、メンバーが就職家庭の問題で活動を続けることができなくなり一人取り残されることとなる。その後はレッスンに行ったり雑誌のメンバー募集に応募したりしていた[3]。日本のバンドではLOUDNESSに憧れていたため、当時LOUDNESSが所属し後に自らも所属することとなるビーイングの音楽スクールに通い始める。

BEING音楽振興会でのオーディションでも上位となり、主催者の音楽プロデューサー長戸大幸の目に止まり、アレンジャー・作曲家の大島康祐と同振興会主催のオーディション出身の柴崎浩と出会い、WANDSを結成する。

1991年?1996年、WANDSのボーカルとしてビーイングに所属し、シングル11枚、オリジナルアルバム4枚をリリース。

1995年、ロック・グランジ・オルタナティブという自身の音楽性を、ダイレクトに表現するようになっていく。それにより、WANDSのデジタルポップ路線を望む会社側との間に食い違いが生じ始め、1996年にグループ活動停止し、1996年6月30日、柴崎浩と共にWANDSを脱退。

1997年11月、柴崎浩とのユニットal.ni.coを結成。

1998年3月、シングル「TOY$!」でデビューし、以降シングル計3枚・アルバム1枚をリリースした。

2001年、ツアー終了とともにal.ni.co解散。自身のレーベルpojjo record(ポジョ・レコル)を設立し、ソロ活動を開始。al.ni.co以降、それまで行っていた作詞と共に、ほぼ全曲の作曲を手がけるようになる。内省的な歌詞・ザラついたギターサウンドを追求し、ライブ重視のサウンドへと移行。

2005年PATAX JAPAN)とのコラボシングルをリリース。

2006年、「寂しさは秋の色」(WANDS)や「TOY$!」(al.ni.co)などの楽曲をセルフカバーし収録したデビュー15周年記念アルバム『SPOILS』をリリース。

2007年、バンド猫騙を結成し、ライブ活動をスタートする。

2009年、自身のレーベルアーティスト、JAZZNEKOのアルバムをプロデュース。12月4日、自身主催のライブイベント『Ja-palooza09』よりソロ活動を再開。

2012年8月26日に行われたアニメソングのライブイベント『Animelo Summer Live 2012』では、シークレットゲストとして参加した上杉と織田哲郎が2人でWANDS時代の楽曲「世界が終るまでは…」を歌唱した。この際の名義は、"織田哲郎&上杉昇"であった。

2017年、地元の横須賀市を舞台とした映画「スカブロ」で進藤組組長の役として映画初出演[4]

2022年、デビュー30周年を記念して、ソロ活動としては初のベスト盤アルバム『永劫回帰T』『永劫回帰U』を2枚発売した。WANDS時代、al.ni.co時代のカバー曲、猫騙とソロの楽曲で構成されている。

2023年、12月20日に『上杉 昇 全歌詞集 1991-2023』を発売。今までWANDS、al.ni.co、猫騙、ソロ作品で書いた歌詞を一冊に纏めている。

現在は年に数回定期的に都内を中心に自身のソロライブの活動を中心にしている。ソロライブでは、自身のソロ曲や猫騙の曲、邦楽と洋楽のカバー曲、al.ni.co時代の曲、WANDS時代の曲を歌唱している。
人物・エピソード

テレビゲームが得意で、テレビゲームはバイオハザードシリーズ鉄拳シリーズを好む。バイオハザード リベレーションズ2の公式イベント内のワールドランキングでは7位の記録を達成。

WANDS時代、1993年ごろまでは、肩に掛かる位の後髪に黒いジャケットとパンツ、1994年以降は、ガンズ・アンド・ローゼズアクセル・ローズを髣髴とさせるような、長髪にバンダナ、ニルヴァーナカート・コバーンのようなネルシャツにジーンズという容姿だった。al.ni.co以後の活動からは、かつての落ち着きのある面影が無いほどまでスタイルが豹変した。al.ni.coでは短髪にサングラス、ニット帽、髭を生やす、太ってしまうなどのイメージチェンジを行い、さらにソロ転向前後にはビリー・コーガンの影響を受けてスキンヘッドにするとともに[1][注 1]、頭と腕にタトゥーを入れるなどをした。なお、al.ni.co時代に髪が短くなっていたのは、上杉が腹痛になり寝込んでいた時に顔の前に髪の毛が来るのが嫌になり自分でバッサリ切ったからだという。自身がボーカルを務めるバンド・猫騙のライブではアンスラックスの影響を受けてネイティブ・アメリカンの衣装でステージに立っている[1][注 2]。上杉は「元々、自身の変身願望みたいなものは強かったのは確か」だと週プレNEWSのインタビューで語っている[5]

ガンズ・アンド・ローゼズやLOUDNESSに憧れプロデビューを目指していた。ところがデビュー決定時にプロデューサーからロックバンドとしてのデビューを約束されていたにもかかわらず、WANDSでの活動が開始するとデジタルポップの音楽性だったことに戸惑ったと語っている[1]。デビュー時からWANDSの音楽性に合ってないと感じており、やらされている感がずっとあったと述べているが、1995年から作詞のみならずメンバー内で作曲も担当させてもらえるようになってからは、少しずつ自分のやりたい音楽をWANDSでもやれていたとも語っている[1]

WANDS脱退後、WANDS時代のことを「アイドル時代」と表現することがしばしばあるが、全否定はしておらず、「自分の作詞した曲が高い評価を得たりして、嬉しい面もあった。WANDSの活動には真剣に取り組んでいた」と語っている[1]。また、2019年に第5期WANDSが再始動した時は、「WANDSにいたから今の自分があるので、今は自分がWANDSのメンバーだったことに感謝している。新しい(第5期)WANDSはとことんやってほしい。応援している。」とコメントするなど、自身がWANDSのメンバーだったことを肯定する発言もするようになっている。脱退後のしばらくWANDS時代を語ったり、WANDS時代の楽曲を歌唱することがなかったが、現在は、ソロライブや中国など世界各地でのライブでWANDS時代の楽曲を歌唱している。

WANDS脱退の理由のきっかけとなったのは、カート・コバーンの死去で、自分のやりたい音楽で聴いてくれた人を感動させたいと思ったからと語っている[1]

ソロライブやカバーアルバムでは、自身が趣向するオルタナティブロックの洋楽以外にも、HIDEオフコース小田和正長渕剛尾崎豊Cocco中島みゆき真島昌利レベッカさだまさし山崎まさよし松任谷由実など洋楽邦楽問わず幅広い楽曲を歌唱している。

中学校の先輩にはX JAPANのHIDEがいる。同時期に通っていたわけではないが、地元では憧れの存在だったという。

iPadを所有しており、楽曲制作にも使用している。iPadには、音楽が12000曲入っていて、中でも最もお気に入りの曲が、レディオヘッドの「Motion Picture Soundtrack」で、「自分が死んだ時、葬式にかけてくれたらすぐに成仏する。WANDSはかけないで欲しい(笑)」と語っている。

WANDS時代に楽曲を提供した織田哲郎は、上杉の作詞の才能を賞賛し、「詩人として本当に才能のある人だと思うから、これからもいい作品を作り続けて欲しい」などのコメントを残している[6]

ディスコグラフィー

WANDS#ディスコグラフィー(1991-1996)、 al.ni.co#ディスコグラフィー(1997-2001)、 猫騙#ディスコグラフィー(2006-現在)も参照
シングル

発売日タイトルカップリングオリコン
最高位収録アルバム品番
1st
2005年8月3日飛んで散れカナリア [RIPPED AWAY VERSION][7]57位Blackout in the GalaxyOPCD-1051
2nd2005年11月9日poo pee peopleTHE GROUND’S NAME IS 零 [unplugged]61位OPCD-1052
3rd2006年10月25日TOY$! (scrambled mix)[7]Moist Vagina[8]60位SPOILSOPCD-1061
4th2013年5月22日FROZEN WORLD--The Mortal(配信限定)
5th2018年1月10日棘と吹雪とアンダルシアに憧れて[9]
TANGO (Bossa Nova)[10]--OPCD-1182
6th2018年8月1日Survivor's Guilt赤い花咲く頃には
FROZEN WORLD (35 MIX)114位The MortalOPCD-1183
7th2019年5月6日[11]火山灰
[Not Song of War]--DignityOPCD-1191
8th2019年12月4日防空壕愚か者よ[12]123位OPCD-1192
9th2020年5月27日カワラコジキ吹雪[13]86位OPCD-1201
10th2020年9月30日消滅たとえばぼくが死んだら[14]82位OPCD-1202
11th2020年12月23日濫觴防人の詩[15] (Recorded Live At YOKOHAMA


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