上智大学
上智大学1号館
大学設置1928年
創立1913年
学校種別私立
設置者学校法人上智学院
本部所在地東京都千代田区紀尾井町7-1
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分00秒 東経139度43分57秒 / 北緯35.68333度 東経139.73250度 / 35.68333; 139.73250
上智大学(じょうちだいがく、英: Sophia University、羅: Universitas Sedis Sapientiae)は、東京都千代田区紀尾井町7番1号に本部を置く日本の私立大学。1913年創立、1928年大学設置。日本で唯一の教皇庁立大学であり、最難関私立大学の一角としても知られる。 上智大学は、世界最大の教育機関運営組織(在学生は全世界で約291万人)[1]でもあるキリスト教のカトリック修道会イエズス会が開設し、現在は学校法人上智学院が経営する大学である。日本初のカトリック教会系大学である。アメリカ合衆国のジョージタウン大学、フォーダム大学、ボストンカレッジ、イタリアのグレゴリアン大学、韓国の西江大学校など、世界各国のイエズス会系校と提携関係にあるほか、2020年3月現在、アメリカのイエール大学やペンシルベニア大学、イギリスのエディンバラ大学、オーストラリアのシドニー大学やメルボルン大学、中国の清華大学など、世界の373大学と協定を結んでいる[2]。 上智大学の起源は、1549年(天文18年)、カトリック教会イエズス会の宣教師であったフランシスコ・ザビエルが、日本人の旺盛な知的好奇心や高い道徳性、誠実性に感銘を受けたこと、また当時の足利学校や五山における高度な学問・教育の存在を知り、「日本のミヤコ(都)に大学を」と日本での高等教育機関開設を構想したことにある。しかし、ザビエルの志は禁教令により叶わず、改めて1905年(明治38年)にローマ教皇ピウス10世が、日本での高等教育機関設立をイエズス会に託し、ウィリアム・オコンネル司教を親善大使として明治天皇宛に親書を託し派遣。オコンネル司教が東京市長、帝国大学総長、桂太郎首相と精力的に会談を重ねた結果、1913年(大正2年)に専門学校令による上智大学が設立され、哲学科・ドイツ文学科・商科を開設。校地には、元陸軍大臣高島鞆之助の所有地や陸軍大将大島久直らの邸宅が選ばれた[3]。なお、現在の四谷キャンパス一帯は、明治維新まで徳川御三家の一つである尾張徳川家の中屋敷であった[4]。ヘルマン・ホフマン初代学長と上智大学第1期生(1914年3月)[5] 1928年(昭和3年)に大学令による大学として新発足し、文学部に哲学科・文学科、商学部に商学科を開設。1948年(昭和23年)に新制大学として発足し、文学部と経済学部を開設。1949年(昭和24年)に国際部(International Division)を開設。1951年(昭和26年)に私立学校法により学校法人上智学院となる。1957年(昭和32年)に法学部を開設。1958年(昭和33年)に神学部と文学部外国語学科を改組し外国語学部を開設。1962年(昭和37年)に理工学部を開設し、これにより人文科学・社会科学・自然科学を研究・教育する総合大学となる。1987年(昭和62年)に比較文化学部を開設。2004年(平成16年)に大学院法学研究科法曹養成専攻(法科大学院)を開設。2005年(平成17年)に総合人間科学部を開設。2006年(平成18年)に比較文化学部を改組し国際教養学部を開設。2011年(平成23年)に同じカトリック系で看護学部看護学科を擁する聖母大学を合併し、総合人間科学部に看護学科を設置。2014年(平成26年)に同じカトリック系で医学部医学科を擁する聖マリアンナ医科大学と研究・教育の包括連携協定を締結。同年、総合グローバル学部を開設。2024年(令和6年)現在、大学に9学部、大学院に11研究科を設置する総合大学となっている。クルトゥルハイム聖堂(明治期の建築物、ドイツ語でクルトゥルは「文化」、ハイムは「館」を意味する) 大学創立以来、政界・財界・官界・学界、特に外務省や国際連合などの国際機関に数多くの卒業生を輩出してきたほか、日本最古のマスコミュニケーション学科である文学部新聞学科を擁し、マスコミ界にも数多くの卒業生を輩出してきた。 イギリスの高等教育情報誌タイムズ・ハイアー・エデュケーション(The Times Higher Education、THE)が発表した『THE世界大学ランキング日本版2018』によると、慶應義塾大学、早稲田大学に次ぐ国内私大3位に位置している[6]。また、イギリスの大学評価機関クアクアレリ・シモンズ(Quacquarelli Symonds、QS)が発表した『QS世界大学ランキング2020』によると、早稲田大学、慶應義塾大学に次ぐ国内私大3位に位置している[7]。 教育精神は「他者のために、他者とともに」( For Others, With Others )。これは設立母体であるカトリックイエズス会の教育目標でもあり、「自分の才能や学びの成果を他者のために役立て、他者に奉仕することが、人間的成長につながる」という考えである。 「上智」という名称は、創設者の一人であるジェームズ・ロックリフ神父やヘルマン・ホフマン神父(初代学長)が書いた手紙に「神からの知恵」を意味していると残されている。「神からの知恵」とは、ラテン語で"Sapientia"(サピエンツィア)で「叡智」を意味し、ギリシア語ではσοφ??(Sophia、ソフィア)という。その意味は「人を望ましい人間へと高める最上の叡智」であり、上智大学は大学名そのもので理念や建学の精神を表している。カトリック教会で聖母マリアを讃える祈りの中に「Sedes Sapientiae、上智の座」という言葉があり、創立当初の校名の説明に用いられている。正門の校章には、UNIVERSITAS SEDIS SAPIENTIAE(「上智の座の大学」)と刻まれている[8]。 人文科学・社会科学・自然科学系の9学部29学科すべてが四谷キャンパスに集結しており、文理融合型キャンパスとなっている。このため、文理や専門の枠を超えて学ぶ全学部対象の全学共通科目や語学科目に加え、他学部他学科履修制度が整っており、学部学科の壁を越えた学際的な学びが可能となっている。理工系学部の場合、早稲田大学基幹理工学部・創造理工学部・先進理工学部の西早稲田キャンパスや慶應義塾大学理工学部の日吉・矢上キャンパスのように、文系学部とは別のキャンパスになることが多いが、上智大学理工学部は文系学部と同じ四谷キャンパスで教育・研究が行われている。このため、他学部他学科履修制度を利用し、理工学部の学生が人文科学・社会科学系学部の講義を受講し、幅広い見識を培うことが可能である。
概観聖イグナチオ教会鐘楼上智大学四谷キャンパス一帯は徳川御三家の一つ尾張藩徳川家中屋敷跡に位置する
大学全体
建学の精神(校訓・理念・学是)「他者のために、他者とともに」( For Others, With Others )
大学名の由来上智大学1号館(1932年竣工、スイス人建築家マックス・ヒンデルによる設計)
教育および研究上智大学6号館ソフィアタワー(2017年竣工)