上方絵(かみがたえ)は、江戸時代から明治時代に描かれた浮世絵の様式のひとつである。主に京阪地方で製作された浮世絵版画を指す。 江戸の浮世絵に対して、上方つまり京都や大坂で作られた浮世絵を指す。作品の大半は役者絵である[1]。贔屓(ひいき)連中という熱心なファンが歌舞伎役者を盛り立て[2] [3]、人気役者の似顔絵が作られた。 元禄期の京都では、西川祐信が肉筆浮世絵の美人画や絵本作画で活躍した。その後、寛政頃から文化期にかけて祇園井特が現れて艶麗でアクの強い個性的な京風肉筆美人画を描いたほか、円山派の山口素絢らが肉筆画において活躍している。また、大坂においては、月岡雪鼎、蔀関月らが肉筆美人画を描いている。 寛政4–5年(1792年–1793年)頃になると、流光斎如圭によって勝川風を取り入れた多色摺りのものが描かれる[4]。また、大坂においては寛政ころに@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}浅山芦国が現れ、#流光斎派とは別の一派が役者絵を描いて活躍している[疑問点 – ノート]。なお、長谷川貞信の系統[5][6]のみ現代まで受け継がれている[疑問点 – ノート]。 上方にて錦絵が版行される以前に制作された版画の技法[7][8][9]。別称は合羽版(かっぱばん)[10]あるいは型紙摺(かたがみずり)で、現代のステンシル印刷に通じる孔版の一種[11]として、絵柄の枠線は木版で刷り、色付けに型紙を用いて刷毛で捺染(なっせん)する。型紙には雨合羽(あまがっぱ)の材料にもなった防水性があり強度の高い[11]厚手の紙を使った。 合羽摺は役者絵にとどまらず、絵本や挿絵本の彩色[12][13][14]にも見られ、一枚摺では風景画、武者絵[15]、相撲絵[16]などがある[疑問点 – ノート]。 主要な合羽摺の作家として、岡本昌房、寺沢昌次、堀田行長、有楽斎長秀、清谷、茶楽斎、括嚢、日本斎、不韻斎、国花堂らが挙げられる[要出典]。 この節の内容の信頼性について検証が求められています。 商品として浮世絵や書籍を刷り、売ったり卸したりする書物問屋を板元といい、現代の書店と出版取次の機能を兼ねており、また著作権が確立するまで版画や版本の板木の所有者であった[17]。 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2020年6月) 主な執筆者の姓の50音順。
概要
合羽摺詳細は「合羽摺」を参照「型紙#染色用型紙」も参照
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石川屋和助(石和) 幕末から明治[18][19][20][21]。大坂平野町通5丁目。「浪花百景」[22]などを出版。
大左 寛政文化頃。大坂。#流光斎「山下金作のやなぎさくら」(細判)など。
天喜 幕末。大坂浪花。歌川広重の張交絵「近江八景」など。
本屋清七(本清) 文化4年-安政6年、心斎橋塩町角。または大坂、嘉永7年-慶應4年、摺物と番付[23]。
前田喜次郎(喜治郎[23]) 1879年(明治11年)に大坂塩町通4丁目4番組で、翌1880年(明治12年)に芝町通4丁目4番でそれぞれ営業。鈴木年基「文武高名伝」、山崎年信「大日本名優鏡」、後藤芳景「皇子御降誕之図」など。
綿屋喜兵衛(綿喜、金随堂、前田喜兵衛、前田徳次郎) 大坂心斎橋塩町角。姓は前田[24]。芦雪「佐々木舟右衛門」、長谷川貞信「六十余州能登」など。
参考文献
稲垣進一「終期(横浜開港から明治の終焉まで;五雲亭橋本貞秀ほか)」『新装図説浮世絵入門』(2版)河出書房新社〈ふくろうの本〉、2011年、143頁。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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