上川郡(かみかわぐん)は、北海道(石狩国)上川総合振興局の郡。
人口49,174人、面積2,723.4km²、人口密度18.1人/km²。(2024年3月31日、住民基本台帳人口)
以下の8町を含む。 1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記8町に旭川市を加えた区域にあたる。 郡名は石狩川の上流部にあたることから命名。北隣の天塩国上川郡とは塩狩峠で、東の十勝国上川郡とは大雪山系でそれぞれ隔てられている。 江戸時代の上川郡域は西蝦夷地に属する松前藩領となっており、石狩十三場所の範囲に含まれた。田沼意次時代の天明6年2月、佐藤玄六郎は幕府に提出した蝦夷地調査の報告書(「蝦夷地之儀是迄見聞仕候趣申上候書付」『蝦夷地一件』二)で、蝦夷地は穀物栽培を禁じており、上川郡域でアイヌが米作したところ、和人は籾・種を没収し償いさせた、と書いている[1]。 江戸時代後期になると、国防上の理由から文化4年上川郡域は公儀御料(幕府直轄領)とされた。文化8年(1811年)幕吏間宮林蔵は上川郡域を調査。文政4年には一旦松前藩領に復した。安政2年再び公儀御料(幕府直轄領)となり、上川郡域付近まで幕府(箱館奉行)によって置かれた石狩役所の所管となる。警固は庄内藩がおこなった。松浦武四郎は安政4年と安政5年上川郡域を調査、安政4年の案内役アイヌ・ヒヤテキの父親は間宮林蔵の調査に同行しているという。 このころ松田市太郎 戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制を踏襲して上川郡が置かれた。
鷹栖町(たかすちょう)
東神楽町(ひがしかぐらちょう)
当麻町(とうまちょう)
比布町(ぴっぷちょう)
愛別町(あいべつちょう)
上川町(かみかわちょう)
東川町(ひがしかわちょう)
美瑛町(びえいちょう)
郡域
歴史
郡発足までの沿革
郡発足以降の沿革北海道一・二級町村制施行時の石狩国上川郡の町村(1.東旭川村 2.東川村 3.当麻村 4.鷹栖村 5.神楽村 6.神居村 7.永山村 8.比布村 9.愛別村 10.美瑛村 *:旭川町 青:区域が発足時と同じ町村 水色:分立して現存する町村 32.東神楽村 33.上川村)
明治2年8月15日(1869年9月20日) - 北海道で国郡里制が施行され、石狩国および上川郡が設置される。開拓使が管轄。
明治5年
4月9日(1872年5月15日) - 全国一律に戸長・副戸長を設置(大区小区制)。
10月10日(1872年11月10日) - 4月に設置された区を大区と改称し、その下に旧来の町村をいくつかまとめて小区を設置(大区小区制)。
明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区
第2大区
3小区
明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての上川郡が発足。
明治13年(1880年)3月 - 石狩郡外七郡役所(石狩厚田浜益上川樺戸雨竜空知夕張郡役所)の管轄となる。
明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。
明治17年(1884年)4月 - 札幌郡外五郡役所(札幌夕張空知樺戸雨竜上川郡役所)の管轄となる。
明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
明治22年(1889年)1月 - 樺戸郡外二郡役所(樺戸雨竜上川郡役所)の管轄となる。
明治23年(1890年) - 旭川村、永山村、神居村を設置。
明治24年(1891年)3月 - 札幌郡外九郡役所(札幌石狩厚田浜益千歳空知夕張樺戸雨竜上川郡役所)の管轄となる。
明治25年(1892年) - 鷹栖村、神楽村を設置。
明治29年(1896年)6月 - 空知郡外四郡役所(空知夕張雨竜樺戸上川郡役所)の管轄となる。
明治30年(1897年)
7月 - 上川郡役所の管轄となる。
11月5日 - 郡役所が廃止され、上川支庁の管轄となる。
同年旭川村から東川村が分離して成立。また、鷹栖村と永山村の各一部から愛別村が成立。
明治31年(1898年) - 永山村から東旭川村が分離して成立。
明治33年(1900年)
旭川村が旭川町と改称。
永山村から當麻村が分離して成立。
神楽村から美瑛村が分離して成立。
明治35年(1902年)4月1日 - 北海道一級町村制の施行により、旭川町および鷹栖村の一部の区域をもって旭川町(一級町)が発足。(1町)
明治39年(1906年)4月1日(1町7村)
北海道二級町村制の施行により、東川村、愛別村、永山村、當麻村、東旭川村(いずれも二級村、単独村制)が発足。
北海道二級町村制の施行により、鷹栖村の一部(比布原野)の区域をもって比布村(二級村)が、残部に鷹栖村(第1次、二級村)がそれぞれ発足。
明治42年(1909年)4月1日
北海道二級町村制の施行により、神楽村、神居村(いずれも二級村、単独村制)が発足。(1町9村)
鷹栖村・東旭川村が北海道一級町村制を施行。
大正3年(1914年)4月1日 - 旭川町が北海道区制を施行して旭川区となり、郡より離脱。(9村)
大正4年(1915年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、美瑛村(二級村、単独村制)が発足。(10村)
大正8年(1919年)4月1日 - 東川村・當間村が北海道一級町村制を施行。
大正10年(1921年)4月1日 - 比布村・永山村が北海道一級町村制を施行。
大正12年(1923年)4月1日 - 美瑛村が北海道一級町村制を施行。
大正13年(1924年)
1月1日 - 愛別村の一部(越路以東)が分立して上川村(二級村)が発足。(11村)
6月4日 - 鷹栖村(第1次)の一部が分立して鷹栖村(第2次、一級村)、江丹別村(二級村)がそれぞれ発足。残部は改称して東鷹栖村(一級村)となる。(13村)