上川村_(新潟県東蒲原郡)
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かみかわむら
上川村
御神楽岳


上川村旗上川村章

廃止日2005年4月1日
廃止理由新設合併
津川町鹿瀬町、上川村、三川村阿賀町
現在の自治体阿賀町
廃止時点のデータ
日本
地方中部地方北陸地方
甲信越地方
都道府県新潟県
東蒲原郡
市町村コード15383-4
面積361.13 km2
総人口3,430人
(2004年8月31日)
隣接自治体津川町三川村村松町下田村福島県西会津町金山町只見町
村の木ブナ
村の花ヒメサユリ
他のシンボル村の動物:カモシカ
村歌:『上川村民歌』
上川村役場
所在地959-4505
新潟県東蒲原郡上川村豊川236
外部リンク上川村(Internet Archive
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度37分39秒 東経139度27分51秒 / 北緯37.62758度 東経139.46403度 / 37.62758; 139.46403 (上川村)座標: 北緯37度37分39秒 東経139度27分51秒 / 北緯37.62758度 東経139.46403度 / 37.62758; 139.46403 (上川村)
上川村の位置
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上川村(かみかわむら)は、新潟県東蒲原郡にあった津川町への通勤率は26.5%(平成12年国勢調査)。2005年4月1日、鹿瀬町、津川町、上川村、三川村の4町村の合併による阿賀町の発足により消滅した。
地理

河岸段丘が発達。

山:御神楽岳

河川:常浪川

歴史

縄文草創期の遺跡である室谷洞窟、小瀬ヶ沢洞窟があり、縄文人の生活を知る上で重要とされる。しかし、発掘された土器、石器類、人骨などは全て村外に持ち出され、国指定重要文化財「室谷洞窟遺跡出土品」は長岡市立科学博物館に所蔵されている[1]。また未発掘の縄文時代の貝塚がいくつか存在する。

一説には平家から逃亡していた以仁王がこの地で生涯を閉じたとも言われている。現在も以仁王の墓らしきものが残っているが、その真相は定かではない。

小川の庄は会津と関係が深く、戦国時代以前から会津の属州として位置付けされる。津川の麒麟山にあった城の城主、金上氏は上杉軍と幾度か戦を交えているが、自然の要塞であったことも有り陥落することはなかった。だが会津の蘆名氏の危機とともに滅ぶこととなる。その後会津の藩主が度々変わり、保科氏より本格的な会津の歴史となる。山村として漆の原木を維持管理し、年貢としていたようである。みつまたこうぞなどの和紙の原料も同じである。

会津戊辰戦争では津川口での戦などに参戦している。そのころの刀剣をまだ家に所蔵している家も多くある。

廃藩置県で初めは若松県であったが、二度目の置県で福島市を県庁所在地となったため、県庁まで遠すぎることと、山縣有朋の一言で小川の庄は新潟県に編入となる。明治生まれの人には会津への思いの強い人が多かった。明治の村分けはとても細かく分かれ、昭和まで合併が続く。なごりの村の名が郵便地名や本籍に残る。

2005年4月小川の庄がひとつとなり阿賀町となった。

現在、これと言った主力産業はない。コシヒカリの産地であるが、農地が狭いため、南魚沼産コシヒカリのような安定量のある米と違い市場にほとんど出まわらない。
沿革

1954年12月1日 -
上条村西川村東川村が合併して発足。

2005年4月1日 - 津川町鹿瀬町三川村と合併して阿賀町となり消滅。

行政

村長:石川正文(2002年1月30日から)

経済
産業

農業・林業[2]のほか、かつては西川鉱山をはじめとする小規模な鉱山が多数所在した[3]
伝統産業


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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