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2015年4月4日、横浜スタジアムにて撮影。
本名上島 龍平(うえしま りゅうへい)[1]
ニックネーム竜ちゃん
竜さん
生年月日 (1961-01-20) 1961年1月20日
没年月日 (2022-05-11) 2022年5月11日(61歳没)
出身地兵庫県氷上郡春日町(現・丹波市)
血液型AB型[2]
身長162 cm[3]
言語日本語
方言共通語
神戸弁
出身劇団青年座研究所
テアトル・エコー養成所
トリオ名ダチョウ倶楽部
相方肥後克広
寺門ジモン
芸風コント
モノマネ
リアクション芸
立ち位置右端
事務所太田プロダクション
活動時期1985年 - 2022年
同期ウッチャンナンチャン
中山秀征
過去の代表番組志村けんのだいじょうぶだぁII
志村屋です。
志村劇場
志村の夜
他の活動俳優
配偶者広川ひかる
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上島 竜兵(うえしま りゅうへい、本名:上島 龍平〈読み方同じ〉[1]、1961年〈昭和36年〉1月20日 - 2022年〈令和4年〉5月11日[4][5][6])は、日本のお笑いタレント、俳優。お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の大ボケ担当。兵庫県丹波市春日町出身、同県神戸市垂水区・同北区育ち。太田プロダクション所属。
愛称は竜ちゃん、竜さん。
神戸市立鈴蘭台中学校、神戸村野工業高等学校卒。身長162 cm[3]、血液型AB型[2]。妻は広川ひかる[7]。
ダチョウ倶楽部の中で、最も体を張っているいじられキャラで有名。怒って帽子をたたきつけるリアクションを持ちネタの一つとしている。出川哲朗と並ぶリアクション芸人の代表格。 元々は俳優志望で、青年座研究所、テアトル・エコー附属養成所に在籍していたことがある。上島と同郷でテアトル・エコー附属養成所の同期だった寺門ジモンに誘われて渡辺正行の下を訪ねたのがきっかけで、お笑いの道へ入る。その際、渡辺に紹介されたのが南部虎弾と肥後克広で、それがダチョウ倶楽部の原型になる。南部脱退後、テレビで活動する機会が多くなり、ダチョウ倶楽部はその存在を世に知らしめることとなる。 1994年、広川ひかると結婚。 2005年8月には自伝&写真集『これが俺の芸風だ!!』を上梓。2008年2月には、『わらしべ夫婦双六旅』で新橋演舞場に初出演し、初の本格的な舞台に挑んだ。 2022年5月11日午前0時ごろ、東京都中野区の自宅において、意識を失った状態で妻に発見された。病院へ搬送されたが、同日午前0時53分に死亡が確認された。警視庁中野警察署によると、現場の状況から事件性はなく、首吊り自殺を図ったとみられる[4][8]。61歳没。遺書などは見つからなかったため直接的な動機は不明のままだが、晩年は腰痛や不眠症、コロナ禍での仕事の停滞、仲間と会えない寂しさなどが募っていた他、2020年3月に師匠と慕っていた志村けんが急逝した事も重なり、以降は心身共に大きな負担を抱えながら生活していたと週刊誌内のインタビューで妻が回顧している(後述)[9]。 2023年8月10日、妻が本名の「上島光」名義で夫との思い出話を綴ったエッセイ「竜ちゃんのばかやろう」を出版した[10]。
来歴
死去
人物
「笑われようと、笑わせようと、そこに笑いさえあれば、変わりはない」[11]を持論としている。逆に、「人をさげすんだ笑いはイヤ」とも語っている[11]。
テレビなどで見せるリアクション芸とは裏腹に同業者(芸人)間では「繊細な性格をしている」や「仕事に対して真面目すぎる」などと評されていた[9]。
人柄が良いことで知られており、2014年に有吉弘行が、自身のTwitterで「恩義っていうやつを感じちゃうと、中々に厄介だなぁ。間違いを指摘できない」と、人間関係上の悩みをツイート。続けて、「そういう意味で、恩義を感じてるのに指摘しまくれる上島さんはスゴイ。。。」と、先輩芸人の人間的な大きさに言及した際には、それに返信する形で糸井重里も「ほんとうの『人格者』」と評した[12]。
『虹をつかむ男』にホームレスとしてワンシーンの出演をした際、細部までこだわる山田洋次に「今日用意された衣装の中にしっくりくる衣装がない」という理由で翌日に撮影が延期された。帰ろうと自服に着替えて挨拶に向かったところ、山田に「それだ!!」と見初められ、結局、自前の服でホームレス役として出演した[13]。
結婚当初から子供は作らない事を明言しており、妻はその理由を生前詳しく説明された事は無いものの「考え込んじゃう性格だから、子供の未来まで背負えなかったんだと思います」と推察している[14]。