上島町
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広島県豊田郡にある「大崎上島町」とは異なります。

かみじまちょう 
上島町
岩城島積善山山頂から生名島因島方面を望む


上島町旗上島町章

日本
地方四国地方
都道府県愛媛県
越智郡
市町村コード38356-2
法人番号2000020383562
面積30.38km2

総人口5,959人 [編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度196人/km2
隣接自治体(海上で隣接)
今治市
広島県尾道市福山市
香川県観音寺市
町の木ウバメガシ
町の花
上島町役場
町長[編集]上村俊之
所在地794-2592
愛媛県越智郡上島町弓削下弓削210番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度15分27秒 東経133度12分16秒 / 北緯34.25756度 東経133.20442度 / 34.25756; 133.20442座標: 北緯34度15分27秒 東経133度12分16秒 / 北緯34.25756度 東経133.20442度 / 34.25756; 133.20442

外部リンク公式ウェブサイト

■ ― 市 / ■ ― 町・村町庁舎位置

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特記事項・隣接自治体は全て海上でのもの
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岩城港と岩城地区弓削島中心部(佐島より撮影)

上島町(かみじまちょう)は、愛媛県の北部にある瀬戸内海の25島で構成され、海上で広島県の尾道市福山市に接する県境の町でもある。
地理
位置

上島町は、瀬戸内海のほぼ中央、愛媛と広島の間に点在する芸予諸島の中でも愛媛県側では最も北東に位置している離島である。広島県尾道市因島に近く、最も近い生名島の場合、その間はわずか300メートルであり、生活圏は因島側に属している。大島の東方に魚島高井神島がある。
地形

積善山岩城島・標高370m)、古法皇山(弓削島・標高279.4m)

弓削島佐島岩城島赤穂根島津波島生名島魚島高井神島豊島江ノ島、瓢箪島、百貫島(愛媛県最北端)

町名の由来

「かみじま」とは、古くからの当地域一帯の名称である。

藩政期には大三島及び今日の上島諸島のうち、生名島岩城島伊予松山藩の領地であった。松山藩では三津が浜を境として、それより上の地域、岩城、生名を上島、下を下島と呼んだ。これに由来するとするのが一説である。今日では、大三島が下島と呼ばれることはない。

※上浦町教育委員会(編)『上浦のこみち』(第三版、2004年平成16年)3月)による。

中世大山祇神社の寺社領であった三島七島(上島七島)を構成する島の一つ、上島(現在の伯方島や上島諸島を含んでいた。)に由来する説もある。
歴史

江戸時代には、松山藩今治藩に分かれて統治されていた(温泉郡中島町等にもそうした例は見られる。)。東西の瀬戸内航路の要衝であり、西国の諸大名の参勤交代路にもなり、商業と廻船業で大いに賑わった。

古くは農業・水産業を主産業としてきたが、近くの因島(広島県)はじめとして造船業が盛んになると造船所で勤務する人が増え始めた。日立造船の造船所があり、この地域の造船業の中心地であった因島(現在は尾道市の一部)との結び付きを強め、ベッドタウン的な傾向を持つようになった。ところがオイルショックとそれに続く造船・海運業の不況により、離職者が相次ぎ「島が沈む」とまでいわれた。

そうした中、上島町を構成していた旧自治体はそれぞれの道を模索してきた。例えば、上島諸島の中で最大の総面積を持つ旧弓削町は、上島架橋構想の一つである弓削大橋の建設など、交通条件の改善に着手した。旧生名村では「スポーツ合宿村」を核とする基本構想を策定し、村民が一体となり観光・スポーツ立村実現に向け積極的に取り組んできた。また、旧岩城村においては、柑橘類を中心とした農業、水産業、造船業等の産業振興、観光振興に力を入れてきた。旧魚島村では、漁業振興のほか生活環境の整備に努めてきた。

現在は激変期を過ぎて落ち着きを取り戻した閑かな町である。過疎化と高齢化が著しい、瀬戸内しまなみ海道を北側に望む離島でもある。立地条件が足かせになっている。
略史

2004年10月 - 弓削町生名村岩城村魚島村の4町村が合併し上島町が誕生。

2008年3月 - 愛媛県立伯方高等学校岩城分校が廃校となる。

2009年10月 - 日本で最も美しい村連合に加盟。

2011年

5月 - インランド・シー・リゾート・フェスパがオープン。

7月 - 生名橋が開通。


2022年3月 - 岩城橋が開通。

行政
町長
初代-第3代・第5代
上村俊之(2004年 - 2016年、2020年 - )
旧弓削町議会議員出身の初代上島町長。町長選では単独で立候補し、無投票当選した。任期満了に伴う2008年、2012年の選挙で再選された。総合支所方式から分庁方式への転換を表明している。2020年の選挙で現職町長を破って再選。
第4代 宮脇馨(2016年 - 2020年)
旧岩城村職員、上島町職員、上島町議を経て2012年の上島町長選挙に立候補するも落選。任期満了に伴う2016年の選挙で現職町長を破って当選。無人島になっていた赤穂根島に移住して無農薬農業に取り組んでいた[1]
平成の合併

合併協議では、上島地域が離島の集合体であることから合併後の姿の選択肢として次の四つが想定された。

4町村の合併(現在の姿)

他の島しょ部を含む越智郡全体で
今治市と大合併「今治地方局市町村合併検討協議会」(2001年4月26日設置、2002年8月9日離脱)

因島市瀬戸田町との越県合併「因島・上島諸島連携交流協議会」・「しまなみ市構想」

越智郡島しょ部の架橋自治体の合併構想「しまなみ海道周辺市町村合併研究会」(2001年1月4日設置、2002年5月7日断念)に参加

当初、「しまなみ市構想」が模索されたが昭和の大合併でも両県が受理しなかった経緯があり、越県合併の高いハードルから断念せざるを得なかった。(なお、しまなみ市構想自体、瀬戸田町が新三原大橋の架橋を前提に三原市との合併を選択したため断念、その後紆余曲折を経て因島市、瀬戸田町ともに尾道市に編入された。


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