上岡龍太郎
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本名小林(こばやし) 龍太郎(りゅうたろう)
別名義横山パンチ
伊井パンチ
生年月日
1942年3月20日
没年月日 (2023-05-19) 2023年5月19日(81歳没)
出身地 日本京都府京都市左京区吉田中大路町
血液型AB型
身長165cm
言語日本語
方言京言葉
最終学歴京都西高校
トリオ名漫画トリオ(1960年 - 1968年
相方横山ノック
横山フック
芸風漫才
立ち位置右端
事務所吉本興業
上岡プロモーション(個人事務所)
米朝事務所(芸能界引退後の窓口)
活動時期1960年 - 1968年(横山パンチ時代)
1968年 - 2000年(上岡龍太郎時代)
過去の代表番組ラブアタック!
花の新婚!カンピューター作戦
鶴瓶上岡パペポTV
探偵!ナイトスクープ
上岡龍太郎にはダマされないぞ! など
配偶者既婚
親族小林為太郎(父)
小林タマ (母)
小林聖太郎(実子)
三木昴生(甥、ミキ、妹の長男)
三木亜生(甥、ミキ、妹の次男)
弟子大空テント
九十九一
野口小太郎
ぜんじろう
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上岡 龍太郎(かみおか りゅうたろう、1942年昭和17年〉3月20日[1] - 2023年令和5年〉5月19日[2])は、日本の元漫才師、元司会者、元タレント。上岡劇団座長。

本名は小林 龍太郎。京都府京都市左京区出身。旧芸名は横山 パンチ、伊井 パンチ[注 1]。その他、講談師旭堂 南蛇(なんじゃ)、落語立川流Bコース高座名・立川右太衛門を持つ。また、作詞家としての別名義にミケランジェロをもじった「三池嵐次郎」(みいけ らんじろう)[3][4]がある。

1959年、「横山パンチ」の芸名で、横山ノック・横山フックとのトリオ芸人『漫画トリオ』として大阪でデビュー。漫画トリオ解消後の1970年代からはピンでラジオ、テレビに出演し、80年代には『鶴瓶上岡パペポTV』(パペポ)や『探偵!ナイトスクープ』などテレビ司会者として活躍。元々は全国進出の考えはなかったものの、パペポでのトークが評判となったことから1990年代には東京にも進出を果たし、東京では『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』などで活躍したが、同時期より「僕の芸は20世紀まで」と語り、その公言通り20世紀の最後の年となる2000年をもって芸能界を引退した。

長男は映画監督小林聖太郎[5]。三人姉弟の長男で姉と異母妹がいる。兄弟漫才コンビのミキは甥(異母妹の長男・二男)にあたる[6]

血液型はAB型。
経歴

父親は高知県幡多郡下川口村(現在の土佐清水市)大津の出身で、京都帝国大学法学部卒業の弁護士[7]小林為太郎(旧姓・上岡)。母親は宮崎県の出身で、42歳で上岡を出産、上岡が小学4年生の時に乳癌のために早世した[7]資産家で高学歴の出だった母は家事雑事を使用人に任せ、育児を子供の勉学に充てていた。母はあまり良い顔をしなかったが、龍太郎は香具師芝居歌舞伎映画に熱中。この頃の将来の夢は芝居役者だった。

京都市立第四錦林小学校から京都市立近衛中学校を経て私立京都西高校(現・京都外大西高等学校)第一期生となる。入学当時、その頃関西唯一の民放テレビ局だった大阪テレビ放送(後の朝日放送テレビ)が学校を取材に訪れ、そのニュース映像に映っていたことが、1992年の『探偵!ナイトスクープ』内で紹介された[8](1992年10月2日放映「一人学生服の上岡龍太郎少年」[9])。高校在学中にロカビリーが流行し、その気に感化される。「同じ落ちるのならレベルの高い大学を受験しよう」と立命館大学の入試に挑むが不合格。目標であった大学進学を断念し、本格的に芸能の道を進むことになる。高校卒業後は京都でバンドボーイジャズバンドの司会などを経験。軽やかな口跡が知られ、ハンサムな司会者[注 2]として有名になる。

1959年、当時東京に進出していた浜村淳に弟子入りを懇願したが断られ、浜村の紹介でロカビリーバンド「田川元祥&リズムワゴンボーイズ」に加入。1960年横山ノックの誘いにより、「横山パンチ」の芸名で横山フック(初代。後に現在の青芝フックが2代目として加入)と共に漫画トリオを結成する[10]

1968年、横山ノックの参議院議員選挙出馬により漫画トリオも活動を停止[10]。以後、作家の香川登枝緒によって命名された「伊井パンチ」を一時名乗ったが、婿養子だった父の旧姓を取って「上岡龍太郎」を名乗るようになった[10]

1970年代には近畿放送朝日放送ラジオ大阪といった近畿圏の放送局でレギュラーを獲得し、中部日本放送でもレギュラー番組を持つなど近畿圏と中京圏を拠点に活動する[10]。かつての相方のノックの誘いにより『ノックは無用!』『ラブアタック!』『花の新婚!カンピューター作戦』などで司会者を務め、関西を代表するタレントとなった。

上岡は長年、番組中や楽屋裏では「俺は絶対に東京に行かへん!」と語っていたが、1984年10月2日火曜日)に『森田一義アワー 笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演し、1987年には『鶴瓶上岡パペポTV』(読売テレビ)が放送開始された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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