上尾丸山公園
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平方
大字
平方のどろいんきょ
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}平方平方の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度56分46.83秒 東経139度33分6.61秒 / 北緯35.9463417度 東経139.5518361度 / 35.9463417; 139.5518361
日本
都道府県 埼玉県
市町村 上尾市
地区平方地区
面積
 ? 合計3.2521[1] km2
人口(2017年(平成29年)10月1日現在)[2]
 ? 合計4,681人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号362-0059[3]
市外局番048(浦和MA[4][5]
ナンバープレート大宮
座標の場所は馬蹄寺を示す

平方(ひらかた)は、埼玉県上尾市大字。市の統計などでは平方地区で分類されている。郵便番号は362-0059[3]。開発があまり進んでおらず、畑や田んぼが広がり、広大な河川敷もあるなど、農業的土地利用の比重が高い地域である[6]。面積は3.2521 km2で上尾市の町・字では最も広い。
地理

埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市南部の主に大宮台地上に位置する。東側を平方領領家上野、南側を西貝塚さいたま市西区宝来、西側を荒川およびその旧流路を挟み川越市東本宿・上老袋・中老袋や比企郡川島町出丸中郷、北側を畔吉小敷谷と隣接する。南側では川越市古谷上のほか、さいたま市西区宝来や指扇峰岸中釘飛び地とも僅かに隣接する。また、荒川の河川区域内にほぼ全周を川越市に囲まれている飛地(字川岸向の一部)もある[7][8](ほんの一部はさいたま市西区内野本郷高木の飛地と接する)。ここにはかつて屏風沼(屏風池とも)があった[注釈 1]。大正?昭和初期に行なわれた荒川の河川改修により、右岸側に飛地化した地区(字西野)があり西野橋で結ばれる。

地区は川越上尾線、およびその旧道の沿線付近や西上尾第二団地の南西部を除き市街化調整区域[9]で、屋敷林や畑地が多くみられる土地である。地区南部の荒川の堤防付近やその堤外地には沖積平野が広がり水田地帯である。堤外地のほぼ全域は荒川近郊緑地保全区域[9]に指定されている。また、地区の北端を長堀(丸山都市下水路[10])、中央を西野排水路、南端を上尾中堀川が流れる。

鉄道駅は周辺になく、路線バスの要衝となっている。
歴史

もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡平方領に属する平方村であった[11]。古くは中世末期より見出せる橘里三輪荘(みわのしょう)に属したと云う[12][11][13]正保年間(1645年?1648年)頃までは平方町と称されていた[11][13]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では704石余(田237石余、畑467石余)[14]、『元禄郷帳』によると712石余、『天保郷帳』によると785石余であった。化政期の戸数は130軒で、村の規模は東西12余、南北19町余であった[11][13]。荒川流域の平坦な地が地名の起源である[11]。馬蹄寺には寺領15石が与えられていた[13]。荒川には平方河岸が設けられ舟運で栄えていた[13]1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米272石、大麦986.7石、小麦208.8石であった[15]

はじめは幕府領1624年寛永元年)[注釈 2]岩槻藩阿部正次領となるが[16]1681年天和元年)に上知され再び幕府領となる[11]。なお検地1694年元禄7年)に実施[13]

1707年宝永4年)より知行旗本松平氏および金森氏の相給となり、幕末に至る[11]。なお、幕府領の持添新田があり、1744年延享元年)および1794年寛政6年)に検地を実施。

幕末の時点では足立郡平方村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、旗本松平勝之助および金森監物の知行地であった[注釈 3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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